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中央アジア:ウズベキスタン旅行 サマルカンド観光2日目

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ウズベキスタン最大の観光地:サマルカンドで2日目の朝。起きてオープンテラスの食堂に出るとバルコニーの向こうには昨日レギスタン広場で見た壮麗なマドラサの姿を見ることができる。旧ソビエトのロシア語圏であることからロシア人観光客が多く、このゲストハウスにも何人ものロシア人が泊まっている。知っているロシア語と言えば「スパシーバ(ありがとう)」「ズドラストーヴィチェ(こんにちわ)」ぐらいしかないので、ほとんど会話を交わすことはできない。昨夜、宿で一緒になったスイス人ドライバーは今日からレース再開ということで朝早くから準備に追われているようだ。

宿の朝食は盛りだくさんで、この国の国民食と言ってもよいメロンが必ずついてくる。

breakfast at samarkand

今日も近隣の霊廟などを見て回る。まずは通り道なのでレギスタン広場に立ち寄る。

legistan square

legistan square

レギスタン広場とは反対側、徒歩10分ぐらいの所にあるグーリー・アミール廟と隣接するルハパッド廟へ出かけてみる。レギスタン広場と違って観光客が全くいない。

ルハパッド廟は現役のモスクなのだろう、この日は金曜日ということもあって多数の礼拝者(全員男性)が説法を聞いているようだった。説法が徐々に熱を帯びていき熱狂的な調子になっていくと、あるところで参加者全員が一斉に立ち上がった。詩の朗読のような、あるいは詠唱のような説教で非常に音楽的に感じられる。思わずスマホで録音と写真撮影しようとすると係の男性に制止される。典型的な観光客の行動をとってしまった。信仰を冒涜されたという不愉快な気持ちにさせないよう注意しなければいけない。

すぐそばにあるグーリー・アミール廟もこれまた美しい建造物だった。

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

Guri Amir

建物内部のメインとなる霊廟には1404年から1432年にかけて亡くなったAbdula Mirza、Abdura Khman Mirzaなど聖人9人の棺が安置されている。なぜこの短い期間に9人の亡くなった時期が集中しているのか、迫害や弾圧など何らかの要因があったようにも思える。そのあたりについても説明があった(と思う)のだがロシア語なので全く理解できない。

Imam Bokhari Mausoleum

Imam Bokhari Mausoleum

Imam Bokhari Mausoleum

廟内で係員による説明があり、そのあと全員でイスラム教独特の礼拝のしぐさを行う。顔の前で両手で水をすくうような手つきをし、その水で顔を洗ってからまた最初の姿勢に戻る、というものだが、ごちそうさまなどの意味でも使われるようで、この後も旅の間中に何度となくこの仕草を見よう見まねで行った。

地元の人にとってもこの場所は神聖な場所のようで、小さい男の子がうっかり敷居を越えて棺のあるエリアに立ち入ってしまい大人たちが大慌てする場面があった。

出発前に仕入れた知識としてウズベキスタンをはじめとする中央アジア諸国は旧ソビエト圏なのでロシア語が広く通用するというものがあった。あいさつは「ズドラーストヴィチェ」と言い聞かせていたのだが、実際に来てみるとこの挨拶をする機会が皆無であった。かわりに「サラマレイコム」というイスラム圏共通のアラビア語のあいさつが広く使われている。正式には「アッサラーム・アレイコム」だと思うのだが、「アッサラーム」「サラマレイコム」「サラーム」などと省略して使われることが多いようだ。

旧ソビエト圏とついひとくくりにしてしまうが、現地の人々のソビエト、現在のロシアへの思いは色々複雑なものがあるようで、ロシア語を使っておけば安心というわけでは決してないように思う。特に若い世代にはどちらかというとロシア支配への嫌悪、自分たちはウズベキスタン人だという感情が強いように感じられる。

地元の人に「韓国人(カレーア)?中国人(キターイ)?マレーシア人?ベトナム人?」と聞かれることが多く、日本人観光客はよほど少ないのだろうか。

今日の夕食はプロフ(中央アジア風炊き込みご飯)、ラグマン(中央アジア風うどん)、シャシリク(羊の串焼き)、ビール(チェコ産のPulsarがよく出回っている。市内に工場がある)

prof

ragman

昨日のラグマンはきしめんのような麵だったが、今日のものはうどんと言っていいような食感で、店によって麵は異なるようだ。こちらの人はとにかくパンを大量に食べる。ナンや食パンのような柔らかいものではなく、フランスパンのように固いものだが、食事の際には必ず食卓に巨大なパンが置かれる。食堂でも当然パンは何枚要るかと聞かれるのだが、要らないと断ると例外なく怪訝な顔をされる。

町なかにはPainetという携帯関連の売り場がそこらじゅうにあり、8000ソム(133円)で20分通話可能なSIMカードが購入できる。購入した金額分を使い切ったらその都度窓口で金額追加(チャージ)を行うことになる。

SIMカード購入後自分のスマホに挿入するがすぐには利用できない。まず現在稼働中の他の携帯にSIMを挿入して初期設定が必要だと思うのだが、売り場の店員にその説明がなかなか通じない。外国人にSIMカードを販売することなどほとんどないからか、初期設定が必要だということを理解してもらうのが大変である。結局この売り場では解決できず、Beelineという通信会社のオフィスを見つけそこへ駈け込んでみた。そこでも全くらちが明かなかったのだが、たまたまそこに居合わせた英語が少し話せるShaukatという青年が瞬時に理解して問題を解決してくれた。中国に留学したことがあり、日本語もぜひ学びたいとのことで連絡先を交換して別れる。

昨日も訪れた丘の上の小さなモスクの前を再び通りがかる。金曜の夕方ということもあって続々と信者が集まり大混雑となっている。

日が落ちて徐々に薄暗くなる町を散歩する。観光地を巡るのももちろん良いのだが、こういう何でもない町中をあてもなくさまよい歩くのが一番旅をしていると実感できる瞬間である。地元の人々が日々当たり前の生活を送っているその土地をこっそりと覗かせてもらうのが何とも楽しい。

日常生活を営む場所にこのようなモスクが突然闖入してくるのは違和感があるのだが、そこで暮らす人にとっては何の不思議もない当たり前の光景だろう。

Bibihonim masjidi

Bibihonim masjidi

Bibihonim masjidi

モスク近くで偶然出会った高校生ぐらいの女の子が英語勉強中とのことでしばらく立ち話。将来は英語を使うような仕事に就きたいそうで、旅行関連の仕事も良いかもと言っていた。大きくなったらウズベキスタン旅行をアレンジしてもらうからねと言って別れる。きちんと習っているというだけあって年齢の割に非常にしっかりした英語を話していた。

girls in samarkand

宿への帰り道、写真を撮ってくれと寄ってきた男の子。ニコニコしているのにカメラを向けるとなぜかこの表情。何度笑顔に仕向けてもいざ撮ろうとするとこの顔に戻ってしまう。彼にとってはこれが「よそ行き」の表情なのだろう。

boy in samarkand

もうすっかり夜になりレギスタン広場はライトアップされている。観光地化されているなと苦々しく思いつつもやはりきれいである。

legistan at night

legistan at night

legistan at night

自分は「境い目」が好きなのかもと思うことがある。これまで住んだ場所も県や市の境目であることが多かった。ど真ん中ではなく周縁部、別の何かとの境界線上というものに惹かれるのかもしれない。境目では何事も一色に統一されるものではなく、異なるものが入り混じって共存することになる。ここウズベキスタンも色々な意味で境目と言えるだろう。アジアとヨーロッパの境目、イスラムと他の宗教との境目、中華圏・ロシア圏・トルコ圏の境目、等々人種的にも文化的にもまさに「境い目」と言える。比較的単一色が強い日本という国から来てみると、この「境い目」の持つ多様性が非常に興味深く感じられる。

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