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中央アジア:ウズベキスタン旅行 サマルカンド観光3日目 シャフリサーブス

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今日はサマルカンドから80㎞ほど離れたシャフリサーブスという町へ日帰りで向かう。
全く名前を聞いたことがなかったが、後から聞くと世界遺産に登録されているのだそうだ。

例によって盛りだくさんの朝食を食べてから出発する。
同宿者はついに全員がロシア人となったが、彼らは一様に朝はゆっくり起きるので食堂には誰もいない。

breakfast at hotel abdu

breakfast at hotel abdu

事前情報では途中のキタープまで乗り合いタクシー、そこからはミニバスで行くことができるとのことだった。
サマルカンドで泊まっている宿のスタッフのひとりがキタープ出身ということで尋ねてみたのだが、現在はその方法は使えずサマルカンドから現地まで車で行くしかないという。
サマルカンドから乗り合いタクシーで15000ソム(250円)が相場だが交渉が必要となるだろうとのことだった。

タクシー乗り場はレギスタン広場の道を挟んで向かいにあるレギスタンスーパーマーケット横で、常に車とドライバーが集まっている。
昨日出会ったドライバーには100ドルでどうだと声をかけられ、今日も最初に会ったドライバーは20ドルと強気な料金設定だ。
シャフリサーブスに行きたがっている外国人がいると聞いてドライバーたちが一斉に集まってくる。
15000ソムが妥当な金額だと知っているぞと再三言うもなかなか交渉がまとまらない。
時間がもったいなく感じられ、結局20000ソム(333円)で妥協することになった。
日本円に換算するとどちらにしても取るに足らない金額なのだが、安易に観光客価格に乗せられたくない気持ちが出てしまう。
値切ったので他に何人か乗客を募るということで計4人揃ったところで出発。

それほど道路が良いわけでもないのに、ドライバーは飛ばすこと飛ばすこと。時速200㎞近くで走っている。
こちらのドライバーは全くシートベルトの存在を無視しているが、チェックポストでだけはきっちり締めて速度を落とす。
タジキスタンとの国境に近いエリアへ向かうことになるので警備が厳しいということと、交通違反の罰則がかなり厳しいから、らしい。

やがて山道に突入し、右に左に急カーブを繰り返しつつどんどん標高を上げていく。
山と言っても日本のように土と緑に覆われたものではなく、むき出しの岩が風化して鋭く尖ったり崩れていたり、と荒々しい外見である。

on the way to shakhrisabz

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山を越えてから下りに入る。遠くに集落らしきものが見え隠れしている。
平地に降りてキタープの町を通過する。それほど大きな町ではない。
それから30分程度走り、結局出発から2時間弱でシャフリサーブスに到着。他の3人はまだ先に行くらしい。

車を降りるとすぐ、遠くに大きな石のオブジェのようなものが目に入ってくる。
宿のスタッフが勧めてくれたアク・サライという古代の宮殿跡だ。
4世紀に建造が開始され、その後1000年間にわたって建築が続けられたそうだ。
ジブリの作品に出てきそうな廃墟だ。世界の色々なところでジブリを連想させられる風景に出会う。

Aqsaray Palace

Aqsaray Palace

Aqsaray Palace

Aqsaray Palace

Aqsaray Palace

宮殿跡といっても宮殿そのものは跡形もなく破壊され、目の前に残っているのは門の一部だという。
それでも近づいてみると1500年前に作られたとは信じがたい巨大さで、宮殿全体がどれほどのものだったのかと思わされる。

shakhrisabz

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14世紀の軍事指導者アミル・ティムールの像。彼はウズベキスタンの歴史的英雄でここシャフリサーブスの生まれだそうだ。モンゴル人にとってのチンギス・ハーンのような存在だろうか。

Amir Temur

この門の周囲を含め一帯はまるで遊園地あるいは、一大テーマパークのような極めて整然と整備された区画となっている。
この広大なエリアに人が住んでいる気配はなく、子供の芸術学校などの教育施設が目につく。
おそらく世界遺産に登録されたのをきっかけに整備が進められたのだろうが、個人的にはちょっとやり過ぎと思わないでもない。

shakhrisabz

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ここでもイスラム神学校であるマドラサやモスクが点々と建てられている。

madrasa in shakhrisabz

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午後遅くなって通りすがりの男に声をかけられ、行きと同じ20000ソムでサマルカンドまで戻ることにする。
自分と同じ外国人ツーリストが同乗するのだが、ドライバー氏いわく
「彼は60000払っているので金額は内緒にしておいてくれ」とのこと。

途中で地元に住む母娘が乗り込んでくる。外国人に興味津々の様子で話しかけてくるが、意思疎通に非常に苦労する。
母62歳で糖尿病の注射が必要な身体であること、娘がまだ独身であることが目下の最大の気がかりであること、
自分は左右の眉毛がつながっているがこれは既婚女性(もしくは母親)であることのしるしであること、など断片的に理解できた。

shakhrisabz

2人は乗車地点から1時間以上も離れたマーケットで下車していった。同じように通りがかりの車を拾って帰るのだろう。
車が全世帯に普及しておらず公共交通機関も発達していない国では、このようにヒッチハイク(何がしかのお金は払うので厳密にはヒッチハイクとは言えないかもしれないが)に頼らざるを得ないのだが、社会全体にお互いへの信頼があるのだろうと思う。
女性が全く見ず知らずの男の車を日常的にヒッチハイクするというのは、少なくとも日本ではなかなか考えにくい。

サマルカンドに戻り、初日に訪れた店で再度の夕食。ビール・シャシリク(羊の串焼き)・ラグマン(中央アジア風うどん)・サラダとお決まりのメニューに加え、勧められたのでチキンも。明らかに食べ過ぎだ。

dinner at samarkand

dinner at samarkand

dinner at samarkand

dinner at samarkand

母親が向かいの椅子に足を延ばして投げ出し、自分のすねの上に赤ちゃんを乗っけている。見ていてひやひやする。
食堂内で経営者の母親と思われる女性が突然激怒し始め、大声で何かをわめき続けている。
店員もみな微妙な空気になり、こちらも何となく店を出るに出られない気分になる。

夕暮れのレギスタン広場。広場の近くを宿にしたおかげで、気軽にここに立ち寄ることができる。若い人の間で結婚式をこのような観光地で行うことが流行っているようでこの日も何組ものカップルを見かけた。

wedding at legistan square

wedding at legistan square

wedding at legistan square

連日ここレギスタン広場で日没を眺めているがこの日が一番きれいな夕焼けだった。

sunset at legistan square

sunset at legistan

sunset at legistan

sunset at legistan

sunset at legistan

sunset at legistan

sunset at legistan

sunset at legistan square

sunset at legistan square

sunset at legistan square

宿への帰り道。今でもロバや馬が重要な荷物の運搬手段であり、頻繁にこのような光景を目にする。

donkey

観光客向けの場所ではなく、通常の集落の中に宿があるので、普通の家々が立ち並ぶ中を歩くことになる。
どの家も高い塀に頑丈な門という造りで、中から開けてくれなければ入ることはできず、扉を叩き続けるしかない。

walk among houses

このような造りになったのには、敵の襲撃から身を守る必要があったなど歴史的な背景があるのかもしれないが、何しろ歴史に疎いので本当の所はわからない。内部はマドラサと同じ、大部分を何もない広い空間が占めていて建物などは周辺の壁にへばりつくように建てられている。何か宗教的な意味もあるのだろうか。異国にくると目にするすべてのものがいちいち意味ありげに見えてしまう。

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