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インド悠久の旅 ビジャプール(Bijapur)観光3日目

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インド南部カルナタカ(Karnataka)州のビジャプール(Bijapur)での滞在も3日目。夕方のバスで次の目的地アウランガバード(Aurangabad)へ移動する。朝食に昨日食べて美味かったAnda Rice 20ルピー(約35円)を同じ屋台で注文。はまりそうだ。

ふと隣の人の足を見ると指が1本多い。インドを旅して辺りを眺めていると、そこらじゅうに普通に6本指の人がいたり、両性具有の人がいたりと、人種というか人間の多様性というものをまざまざと感じさせられる。

また町をぶらぶらしてみる。店の手伝いでチャイ屋に牛乳パックを受け取りに来た少年。ほらよと渡された箱の中に入れられていたうちの1袋をこっそり足元に隠して、「1袋足りないよ。もうひとつ入れてよ」「ちゃんとあるだろ。ごまかすなよ」。インドらしいやり取りをニヤニヤしながら眺める。

今日は最後に残った観光名所:イブラヒム・ロージャ(Ibrahim Rojha)へ出かける。宿から2kmほどか。小タージマハルと言われることもあるらしい。入場料200ルピー(約350円)。カメラ持ち込みは別に25ルピー必要なのだが免除してくれた。

例によって非常に精巧な装飾が至るところに施されている。

酷暑の時期で観光客も少なくひっそりとしている。大きく分けて2つの建物があり、ひとつは王宮のようで内部に広い空間があり、もうひとつは霊廟でこちらはイスラム色を前面に出している。王宮はいかにもインドの「パレス」といった感じで優雅な曲線が印象的な造りになっている。

霊廟の方は王宮に比べて重厚な造りで、こちらの方が建造が古いのかかなり傷んでいる部分も多い。

霊廟の壁にはイスラム文字が描かれており、ウズベキスタンのサマルカンドで見たイスラム建築を思い出す。

窓もイスラム文字の形に精妙にくり抜かれている。芸術性などということはみじんも考えずに作られたと思うが、後世の人間の目から見るともはやアートである。イスラム教では偶像崇拝が禁じられていて具体的なモチーフを用いることが出来ないので、コーランの中の文字を使う以外に選択肢が無かったのだろうが、その結果産まれたものが美しいと感じられるのも面白い。ただの飾りではなく、必然性があって研ぎ澄まされたものは自ずと美を兼ね備えるということか。

例によって園内は裸足で歩かなければならないのだが、この日も日差しが強く、石畳が猛烈に熱くて爪先立ちで小走りにならないととても歩けたものではない。裸足に慣れているインド人観光客は全く平気な顔である。絨毯が敷いてあるところばかりを選んで歩く。日本人は軟弱だと思われたかもしれない。

地方からここを訪ねてきたというご家族に会う。残念ながらほとんど言葉が通じないが、身振り手振りと笑顔で何となくコミュニケートできている気がする。

庭園を含めた建築全体の非常に整然とした造りが魅力的である。インドというとどうしても混沌というイメージが真っ先に浮かんでしまうのだが、実はこういう秩序立てて物事を行うことも得意なのだろう。相反するものが何の矛盾も無く同居するというのもインドらしい気がする。

老人と少年の2人組と会う。少年がこちらの言うことを逐一老人に翻訳して伝えてくれる。アラーへの忠誠の証としてあごひげを伸ばしたこのご老人も当然ムスリムだが、この寺院に書かれているイスラム文字を読むことはできないと残念そうに言う。ここビジャプールが南北インドの境目にあたる場所なのだと教えてくれた。別れる際、少しシャイな少年は名残り惜しそうに何度も手を振ってくれた。

アウランガバード行きのバスを予約しようとバスターミナルへ行くも、予約不要(しなくても大丈夫ということらしい)と言われる。38番乗り場に18:30に行けばそれでよいとのこと。バスターミナル内にはアウランガバード行きは34/35番乗り場と書いてあり、何を信用していいのかわからないが言われたとおりにする。

出発までまだまだ時間があるので再度町をぶらつく。通りには古い建物が多く、もはや遺跡と呼んでも良いぐらいの建物を大学の校舎として使っていたりする。

通りの一角に、タイプライターの前に座った男性がずらっと並んでいる。文書作成の注文を受けてこの場でタイピングするということだろうか。そういえばこの町で会った人は誰もメールアドレスというものを持っていなかったことを思い出した。ここでは今でも文章のやり取りは書面で行うものなのかもしれない。

歩いているうちにGagan Mahalという遺跡にたどり着く。巨大な門の前は芝生の広場になっていて大勢がゴロ寝している。予想外に立派な建物でカメラを持ってこなかったことを後悔する。巨大な門と背後の遺跡にウズベキスタンのシャフリサーブスを思い出させるものがある。もっともこちらはそれほど規模は大きくない。

遺跡の中ではヘジャブをかぶった女性たちがビーチボールでバレーのようなことをして遊んでいる。何度もボールが建物の外に飛び出してくるのでその都度拾ってやる。

17時半ごろ宿に戻り、預けておいた荷物を持ってバスターミナルへ。アウランガバード行きバス乗り場は、ターミナル内の表示は34/35番乗り場、日中に聞いた係員の話では38番乗り場、今尋ねたドライバー連中の話では27/28番乗り場(しかも発車時刻は30分早い18時)といよいよ錯綜してきた。結局28番乗り場に来た赤いバスに乗り込むことが出来た。料金は驚きの533ルピー(約910円)。寝台車両ではなく、リクライニングできない座席でひと晩を過ごすことになる。出発時はガラガラで乗客は5人ぐらい。

夕暮れの中、ビジャプール、愛着のあったカルナタカ州そして南インドともお別れである。ビジャプール自体はバダミよりはずっと都会で、ここももっと長期滞在しても良いと思えた。南インド最後の町がここで良かったと思える良い場所だった。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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