中央アジア:ウズベキスタンへの旅
世界一周の最初の訪問国は中央アジアのウズベキスタンである。ウズベキスタンというと何を連想されるだろうか。1991年に旧ソビエト連邦から独立した国で、サッカーW杯アジア予選での対戦国としてよく耳にする国名だと思うが、それ以外にはあまり知られていない国ではないだろうか。
実際にWEB検索してみるとわかるのだが、ウズベキスタンへ旅行したという人の旅行記ブログの少ないこと!未知の訪問国へ行く際にはそれなりに事前情報を収集してから行くのだが、このウズベキスタンに関しては最新情報を集めるのに非常に苦労した。観光がしにくい、ビザが取りにくい、国名に「スタン」がつくことから治安が心配、などなどもろもろの事情が重なって訪問者が少ないのだろう。
なぜウズベキスタンなのか。「ウズベキスタン」で画像検索をしてもらうとわかるのだが、色々と美しいのである。中でも由緒あるイスラム建築物の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあり、一度この目で見てみたかった。また、意外に思われるかもしれないがこの国ではイスラム教が篤く信仰されており、初めてのイスラム社会を体験してみたかったというのも動機のひとつだった。
フィリピンでの英語留学を終えて韓国経由でウズベキスタンへ向かうことにしていたのだが、その間に諸事情があって少し時間が空いてしまった。韓国では大学病院の眼科に駆け込むようなトラブルもあったりして少々ドタバタだったのだが、まあ良い経験であった。
ウズベキスタンでの観光にはビザ取得が必須であり、事前に東京のウズベキスタン大使館でビザを取得しておいた。
申請から約1週間でビザ取得できた。日本人の大使館職員の方いわく、国名に「スタン」がつくだけで危険な国と思われて観光客が激減しているとの事。女性が夜の一人歩きができるぐらいに治安がいい国なのに風評被害で困っている、と嘆いておられた。夏は40度以上の酷暑、冬は酷寒になるため観光には不向きで、暑さの和らぐ9月頃がベストシーズンとのこと。
ウズベキスタンへ空路で向かう場合、通常は首都タシュケント(タシケント)が目的地となる。今回はソウル:インチョン国際空港からウズベキスタン航空でのフライトである。乗り継ぎなしの直通便があることからしても、韓国にとってはウズベキスタンは距離的にも心理的にも近い存在と言えるかもしれない。
アジアで経験した中ではシンガポール、バンコクなどがとんでもない大きさの空港だと思わされたのだが、インチョン国際空港は巨大さという点ではそこまでではないものの、利用者にとってこれほど快適に過ごせる空港も少ないのではないかと思わされるところであった。マイレージ上級会員でなくとも利用できる空港ラウンジがいくつもあり、非常に快適に過ごさせてもらった。楽天プレミアムカード様様である。
22時前のフライトが何の説明もなく1時間ほど遅れる。韓国一色の空港の中で、この便の搭乗ゲート付近へ行くと明らかに異質な空気が漂っている。イスラム色の強い服装、眉毛の濃いトルコ系の顔立ちの人々が集まっており、話されている言葉も馴染みのないロシア語と思われる言語である。まわりで交わされる会話が全く理解できない状況になぜか可笑しくなってしまった。ロシア語など自分にとってチンプンカンプンな言葉を耳にすると、どうしてもタモリのでたらめ外国語を思い出してしまうのだ。もはや彼らのしゃべっている言葉がタモリの物まねにしか聞こえない。
なぜか出発時刻の1時間前が搭乗時刻に設定されていたのだが、実際に搭乗を開始してみて納得できた。とにかく全員が席に着くまでが大混乱であった。誰が遅れたわけでもないのに全員の搭乗が完了するまで確かに1時間以上かかっていた。ウズベキスタンでは男が女を手伝うのは当たり前の事のようで、あちこちでそういった光景が見られた。
離陸後しばらくして、日付も変わろうかという時間帯に食事が出される。韓国とウズベキスタンでは4時間の時差があるので、ウズベキスタンではちょうど夕食の時間帯ということになる。回鍋肉に少し似た料理が出され意外に美味い。
7時間半のフライトののち、夜中の2時半ごろにウズベキスタン:タシュケントに着陸した。まだ旅慣れているとはとても言えないので、初めての国に着陸するときはやはり少し緊張する。世界ワースト空港ランキングで毎年1位2位を争うと言われるタシュケント国際空港(今月初めまでいたフィリピンのマニラ国際空港も同じく上位の常連である)は、入国審査の手続きにひどいときには数時間かかると聞いていた。確かに現場はカオス状態ではあったが、思ったよりスムーズに1時間半ほどで手続きを終えることができた。
ウズベキスタン独特の制度のひとつに、入出国時に所持しているお金全額と電子機器などの高額商品について登録しなければならないというものがある。入国時より出国時の所持金の方が多い場合、ウズベキスタン国内で不正に報酬を得ていたとみなされてトラブルになるらしい。全額没収だとか色々うわさは耳にする。周囲の人に書き方を教えてもらって何枚も書き直してようやく書類を2枚作成できた。英語がわかる人がほとんどいないので何か尋ねるのも一苦労である。全く同じ内容の書類を2枚書き、1枚は提出、1枚は出国時まで大切に保管する。地球の歩き方あたりには書類の記入方法が丁寧に説明されているだろうが、事前に確認しておけばもう少しスムーズに記入できたと思う。
多くの人がまずタシュケントを最初の訪問地とするはずだが、今回はさらに午前5時半の便でタシュケントからサマルカンドへ飛ぶ。理由は航空券が2000円と安かったからである。同じウズベキスタン航空でソウルからサマルカンドまで予約した場合と、ソウルからタシュケントまでの便とタシュケントからサマルカンドまでの便を別々に購入した場合は数万円の差が出るというのは何とも不思議である。
国内線用の空港は国際線空港から車で5分ほどのところにあり、移動はタクシーでということになる。当然客引きが殺到するのだが、面倒なので5ドルでと言われてOKしてしまった。すぐに別の男が乗り込んできてウズベキスタンソムは要らないかという。公定レートでは1ドル=3000ソムだが、事前情報によると闇レート(一般的にはこちらが主)では1ドル=6000ソムが相場らしい。1ドル=5000ソムで200ドルを100万ソムに交換でどうか、タクシー料金も無料で良いとのことで、少し損ではあるが交換することにした。その結果、100ドル札2枚がこのような札束に変わることになる。所詮2万円ではあるが持ち慣れない札束に戸惑う。
「おまえマレーシア人か?」と聞かれ、フィリピンでの散髪の効果を改めて思い知る。このところマレーシア人と間違われることが多い。日本人と見られないのはそれだけ狙われにくいということではないかと思うので良い兆候だ。
5分ほどで国内線専用のターミナル3に到着。ガードマンのチェックを受けて空港敷地内へ入る。敷地外の暗がりでは、深夜4時過ぎに何をしているのかわからない男たちがうろうろしている。
既に何人かの先客がおり、おそらく同じ便で早朝の移動をするのだろう。この国では空港、駅などで写真を撮ると罰せられる可能性があるので、ここでも写真を撮ることはできない。ガランとした空港で出発を待つ。
5時半のサマルカンド行きはこれまで経験したことがないほどガラガラだった。乗客のうち10人ほどはパイロットの制服を着た男たちで、実際の乗客は15人前後か。うとうとしているうちにあっという間にサマルカンドに到着した。
サマルカンド空港も小さな空港で、荷物受け取りのレーンなどもなく、10分ほど待っていると自分たちが出てきた通路に何のアナウンスもなく荷物が置かれていた。市内までどう行けばよいかよくわからず、かなり先まで歩かないとバス停もないとのことで、とりあえず歩き始めたところを通りがかった車に拾われる。目星をつけてあったゲストハウスまで15000ソム(約250円)で行ってやるとのことで場所を説明するがこれまた言葉で苦労する。通行人にも聞きまくってようやく到着したのが7時半。
Hotel Abdu 2(Bahodir 2)というところでサマルカンドを代表する観光地レギスタン広場の目と鼻の先である。一見して居心地の良いゲストハウスだと感じる。最初の宿泊地なので、念のためホテル予約サイトのAgodaで予約しておいた。1泊11.8ドルで、地元の客引き曰くサマルカンドでも1,2を争う安宿だそうだ。しかし部屋は十分すぎるぐらい広く快適である。
早速朝食を出され、ここにもう10日滞在しているというこの宿の常連中国人男性と色々話をする。彼は毎年ここに10日前後滞在しているのだそう。日中両国間の政治問題の話になったりしてちょっと微妙な雰囲気になる場面もあったが、彼は理性的な男で色々な話が聞けて興味深かった。彼曰く中国人全般の安倍政権への嫌悪感はかなりのものであるらしい。
宿の食堂からはレギスタン広場に立つ建築物がすぐそこに見える。
念願だったウズベキスタンの旅のスタートラインにようやく立つことができた。
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