You are here:  / アジア / インド / ラダック /  / インド:ラダック旅行 6.ワンラを経てレーへ

インド:ラダック旅行 6.ワンラを経てレーへ

sunrise
Pocket

ラダック奥地のラマユル(Lamayuru)での朝。相変わらず寝起きには軽い頭痛がする。宿での朝食。何かの穀物をお餅のようにして、これまた何かわからないゼリー状のものを混ぜ、そこに謎の粉をまぶしてかまどで焼く。かまどの燃料はたき木と牛糞である。牛糞を触った手で食材も触るのだが、そんなものだろうとあまり気にしないことにする。

今日はワンラ(Wanla)という村へ向かう。ここラマユルからトレッキングでも行けるのだが、今回は時間の都合もあり車で向かう。

wanla

ワンラに着くと車に寄ってくる人がいる。どうやら村の外へ出かけたいのでそのための足を探していたらしい。ちょうどいいところに車が来たので便乗しようということだ。ワンラの村を見る間待ってもらうことになるがそれでも良いという事で帰りは同道することになる。

ワンラにも小高い丘の上にゴンパがある。堂の中に入るとドライバーのNawangが五体当地を始めた。五体当地とは1回祈るごとに額・両手のひら・両膝を地面につけて祈る、最もへりくだった形式の方法で、これを何度も繰り返す。この動作を何年も続けて巡礼する人もいるという。

彼はこのゴンパにお参りするのが初めてだったようで、思わずあなたは敬虔な仏教徒だと言ってしまったが彼はきょとんとしていた。彼にとっては当たり前のことなのだろう。

ゴンパには大勢の小僧さんがいる。ラダックでは男性の多くが子供時代に出家修行を経験するという。大半はその後還俗し一般人として暮らしていくのだろう。

monk boys

こんなインドヒマラヤの奥地でも人の営みがあるのだと当たり前のことに感心する。こういうものをこそ自分は見たいのかもしれないと思う。

ここラダックに住む人々、あるいはチベット人には穏やかな性格のDNAが組み込まれているような気がする。他の国の人々を見ても仏教徒が一番温和なのではないかと思える。しかし長年にわたって迫害、侵略を受けてきたのもチベット人である。彼らの穏やかすぎる気質がアダになっているのではないかと思ってしまう。そんな単純なものではないかもしれないが。

昨日来た道をレーの町まで戻る。ワンラの村で乗せた2人は途中で降りたが、入れ代わりに道中で次々に人が乗ってくる。宿をどうするか聞かれたので、前回と同じBarath Guesthouseに行ってくれるよう頼む。宿に着くとネパール人スタッフがOh,My Friend!と駆け寄ってきた。1泊だが前と同じ金額でいいか尋ねるともちろんと了承してくれる。

最後のラダックでの時間を過ごそうとメインバザールをぶらぶらする。市場で天然石のアクセサリーを売っているのを見つける。ターコイズ(トルコ石)が多く産出するようで良さそうなものを購入。この地方に伝わる伝統的な女性の頭飾り:ペラックにはターコイズがふんだんに使われている。店で買うとやはり高価で、市場が最もお買い得なようである。

中心部を外れると人通りは一気に少なくなり静かである。すれ違うご老人にジュレーとあいさつするとその何倍ものジュレーが返ってくる。ここラダックでは、インドのナマステでもなく、チベットのタシデレでもなく、ジュレーがあいさつの言葉である。万能の言葉のようで、ほぼどのようなあいさつにもこの言葉ひとつで対応できるらしい。

宿に戻るとおかみさんにラマユルはどうだったかと聞かれ、良かったと答える。宿の窓からはポプラの木と畑が見え、遠くには山並みが見える。まだ観光シーズン本番でないこともあってか、すべてがのどかである。せっかく心身ともになじんできたところでラダックを去らなければならないのが何とも残念だ。

from guesthouse_1

from guesthouse_2

Pocket

LEAVE A REPLY

Your email address will not be published. Required fields are marked ( required )

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

2024年12月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

スポンサー

今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

Language