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中央アジア:キルギス観光 スカスカ

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昨夜は中央アジア:キルギスのイシククル湖南岸の町:ボコンバエワに宿泊。9時過ぎに今日の目的地:スカスカへ出発。スカスカまでは昨日来た道を35㎞ほど戻ることになる。バスに乗って向かうが席が最前列で、昨日のスリップ事故がトラウマになったか、ちょっとしたカーブやスピードアップが怖く感じられる。天気は快晴でイシククル湖の両岸に山々がきれいに見える。ビシュケク方面の山がとりわけ高いのだが大半の頂は雲で隠れて見えない。

1時間足らずでスカスカ到着。ここで降りたのは自分ひとりで、ドライバーや乗客がスカスカだよと教えてくれる。スカスカとはロシア語でFairy Taleを意味する言葉(キルギス語ではジョモス)だ。

道路からイシククル湖岸まで下りてみる。琵琶湖の9倍の面積を持つこの湖は塩分を含むというが、その水をなめてみてもしょっぱくはなかった。大きすぎて海のような光景だ。周囲をすべて山に囲まれている湖というのも珍しいのではないか。この地がすでに標高1600mで冬は厳寒の地となるにもかかわらず、この湖だけは決して凍らないのだという。その原因は今もわかっていないそうだ。ソ連時代には外国人の立ち入りが厳しく制限されていた場所だ。湖底には集落跡らしきものもあるそうで謎の多い湖である。

この時間帯、予想に反して観光客どころか人が全くおらず、たまに道路を走り過ぎる車の音が聞こえるのみ。コバルトブルーの水面に静かに波が寄せては返す音だけが響く。対岸にも、湖の左右にも白い山々が一直線に連なっている。

道路の反対側に1台の車が停まり、アルティンアラシャンの宿で一緒だったフランス人カップルが降りてきた。2人を降ろして車が走り出して間もなく、何かを車に置き忘れたことに気付いたらしく、大慌てで後続車を捕まえて前の車を追いかけてもらっていた。

湖岸を離れてスカスカまで歩いて向かう。なだらかな上り坂を15分程度歩いただろうか。地球の光景ではないような、何とも摩訶不思議な奇岩の連続である。

あたかも塔へ登るために作られたような構造と覗き窓のような穴がある。ウズベキスタンのカラカルパクスタン共和国で見たアヤズカラを思い出す。アヤズカラは人工物だが自然が創り出したこの造形をそのまま利用したのかもしれない。

遠くにイシククルを望む中、奇岩の宮殿のようなスカスカを一人歩きまわる。先ほどまで聞こえていた鳥の声も聞こえなくなり、風が止むと静寂が訪れる。人気のない山の頂上などで何度か味わったのと同じ静寂だ。

誰もいないスカスカのピークのひとつに腰を掛けてただ景色をぼーっと眺めて過ごす。周囲は奇岩の海、前面には大きなイシククル湖、その向こうには一直線に連なる山々を眺めながら、今朝買ってきたサモサを食べる。目の前の景色を独占しているこの時間が何ともぜいたくに思える。

快晴だが日陰に入ると肌寒い。午後になり雲が少しずつ晴れて対岸の山々がよく見えるようになる。昨日の雪のせいもあって山は一様に真っ白で美しい。

 

スカスカの後方にはさらに小高い丘があり、ふと見上げるとそこに男女の人影が見える。例のフランス人2人かもしれないが遠すぎてわからない。自分でも登ってみることにする。上から見るとスカスカが様々な色の地層でできていることがよりはっきりとわかる。黄色や赤のグラデーションによる縞模様がよく見える。自分が先ほどまで立っていた場所がグラデーションの真っ只中だったのだとここに来て初めて気づく。

丘からは対岸の端から端まで一直線に山が連なるのが見え、遠くの道路を時折車が走るのが見える。スカスカの西側にはユルタ(伝統的な形式のテント)キャンプサイトがあり、宿もあるようだ。

今日はスカスカの他に何ヶ所かまわるつもりだったのだが、ここを離れる気にならない。スカスカだけで終わりそうだ。ぜいたくな時間の使い方だが仕方ない。

この景色をずっと眺めているともはや何の言葉も出てこない。自分の撮影技術では十分に表現できず、実際に見てもらわないと伝わらないのがもどかしい。自分が旅をする理由が「すげえ、何だこりゃ」という言葉が出てしまうようなものを体験したいからなのだが、今日はそれを十分に満喫できた。

夕方になり、相次いで何組かの観光客がドライバーに連れられてやって来た。高齢の白人夫婦が苦労しながら奇岩でできた自然の塔を登っている。しっかりしたトレッキングシューズを履いているが、見ていると足元が心配になる。

そろそろ潮時かと思い、スカスカからイシククル湖岸へ向けて下り始める。その道すがらも湖と対岸の山々がきれいに見える。

ゲスト待ちをしているエメリヤーエンコ・ヒョードル似のキルギス人運転手が「お前どうやって帰るんだ。一人で来たのか。まさか歩きじゃないだろうな」とあきれたような感心したような表情で声をかけてくる。バスで帰るつもりだがバスがなかったらヒッチハイクすると答えると「その時は俺が拾って帰ってやる」と言ってくれる。

湖岸でバス待ちするもなかなか来ず、そうこうするうちに先ほどのドライバーの車がこちらに来て結局ボコンバエワまで送ってもらうことになる。車に乗っていたのは先ほどの高齢のお二人。イスラエルからのご夫婦;ヨハンとスザンナで、ご主人ヨハンの70歳を記念しての旅行ということだった。スザンナは世界中旅行しているが、今回は美しい国をということでキルギスを選んだのだそうだ。ヨハンは体が丈夫でないのでトレッキングなどのハードなスケジュールは組めないが、十分にキルギスの旅を満喫しているようだ。せっかく乗り合わせたのでこれも何かの縁、お互いの身の上話などする。

世界一周のために仕事を辞めたことを話すとスザンナは残念そうな表情をした。旅に出てから多くの人に仕事を辞めて世界一周に出ていることを話す機会があった。これまでを話した相手はみな「それは素晴らしい選択だ」「なんてクールなんだ」などと賛成の反応だったが、正反対の反応を示した人は初めてだ。

ボコンバエワが近づいたあたりで突然ドライバーが砂浜へ降りようと言い出した。何のためにと夫妻が聞くと「美しい時間を作るために」と返してくる。英語の表現はときどきキザだ。夕暮れの静かな砂浜で、夫妻が持参していたモルドバ産のワインをいただく。

ドライバーから日本人は全員仏教徒なのかと聞かれ、キリスト教徒もいると答えるとなぜか非常に驚かれた。イスラムの国に興味があって中央アジア諸国を旅していると言うと理由を聞かれ、日本と一番遠い宗教の世界だからかもしれないと答える。日本がイスラムと縁遠いことの証左として日本人でムスリムという人に直接会ったことがないと言うと、すかさずヨハンからユダヤ教徒の日本人にも会ったことないだろうと返される。

ドライバーいわく「日本人はみんな100歳まで生きるのか。先日日本の団体客を担当したが最年少が85歳だった」という。そんな馬鹿なと思うが、ヨハンが「そのツアーは日本中から年齢の高い順に選りすぐったんだよ」と言ってウインク。2人は日本在住の友人を頼って来年訪日予定だそうで親日的だ。「日本が恋しいか」と聞かれNOと答える。体調が悪くて日本食を食べたいとか、コンビニがないのが不便だとか、その程度のことはよく考えるが、いわゆる日本が恋しくてホームシック状態になったことはこれまで一度もない。別に日本が嫌いなわけではなく最終的に自分が帰る国ではあるのだが。

ボコンバエワに着きいくらか支払おうとするが、ドライバー氏、頑として受け取ろうとしない。撮った写真をWEBに載せてくれよと言われ、礼を言って別れる。

昨日と同じ、バスターミナルそばの食堂で夕食。言葉が通じず例によって注文がうまくいかないが、店にいた別の男性客が手助けしてくれる。地元の人のおかげで今日も食事にありつくことができる。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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