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中央アジア:キルギス観光 ソンクル湖行き失敗

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中央アジア:キルギスの旅も最終盤。イシククル湖畔の町:ボコンバエワからソンクル湖という標高3000m以上の高地にある湖を目指す。キルギス入国前にCBTというキルギス国内の観光組織に確認したところ、ソンクル湖へ向かう通常ルートは既に積雪のため封鎖されているとの返答を得ていた。行ける可能性は低いがいちかばちか、現地で当たってみることにする。

8時半に宿をチェックアウト。外に出てみると開いている店がほとんどなく、町全体がまだ目覚めていないようだ。ソンクル湖へ向かうためにまず最寄りのコチュコルという町を目指す。バスターミナルへ行ってみるとコチュコル行きのバスはなく、200ソム(約300円)の乗り合いタクシーで行くしかないようだ。コチュコルの手前にあるバルクチという、鉄道の終着駅でもある町を経由して向かうことになる。バルクチまで1時間、そこからコチュコルまでも1時間ということだった。

乗り合いタクシーは運転手が採算が取れると見込んだ人数が集まるまでは発車しない。近距離でもあり容易に出発できると踏んでいたがこれがなかなか集まらない。ただただ待つだけの時間が続く。ドライバーを始め多くの男たちが続々と集まってくる。男たちは会うとみな握手。年上の女性と会った場合は(敬意をこめて)口にキスをしている。

これからカラコルに行くという青年に声をかけられる。彼は学生で、午前は学校、午後はCBTで働いていると言い、英語もある程度話すことができる。ちょうどいい機会なので、ソンクル湖の状況について聞いてみたところ難しいかもしれないとのこと。コチュコル行きタクシーの適正価格は150ソムとのことで、少し上乗せ提示されていたことも判明した。

ようやく営業し始めた近くの店に連れて行かれ、キルギスに来たらこれを食べてみてほしいということでクルットという白い玉のようなものを買ってくれた。塩と牛乳(ヤクの乳かもしれない)と何かを足して作ったもので、キルギスでは日常的に食べられているものらしい。味はどうかと聞かれるのだがこれは全く口に合わなかった。歯が欠けそうなほど固い上に、何とも形容できない妙な味が口の中に広がるので、小さい玉1個を完食するのに苦労させられた。

結局1時間半待ってようやく出発。カラコル行きの青年の車はまだ人が集まらないようで、このあたりではどこかに出かけるのもひと苦労だろう。少なくとも時間の約束などは出来そうにない。

道中は絶景の連続で山に挟まれた、まるでインド:ラダックのような景色の中を突っ走る。車内はぎゅうぎゅう詰めで写真を撮ることもほとんどできない。

途中、何ヶ所かイスラム式の墓地を見かけた。町と町の間の人が住まないエリアにまとめて作っているようだ。バルクチの入り口にあたる場所にも大きな墓地があった。

バルクチに着いてこのままコチュコルまで行くのかと思いきや車を乗り換えろと言う。料金もバルクチまで200ソム、コチュコルまで200ソムかかると言われ、ドライバーと言い合いになる。たかだか300円のことでもめるのもバカバカしいのだが、どこか引いてはいけない気持ちになる。ドライバー仲間、さらには客たちからも早く払えと責め立てられ、多勢に無勢、結局は支払ってしまったのだが。

バルクチからコチュコルまでも絶景だった。コチュコルにCBTがあることを知っていたのでそこで降ろしてもらったが、鍵がかかっていて営業していないようで、この先も自力で何とか手配するしかなさそうだ。

朝から何も食べていないのでまずは昼食を、と近くのレストランに入る。中に入ってみると町の有力者らしき方々が集まって会食のようなものが行われている。一人ずつ立ち上がって何かスピーチのようなことをしているのだが、それぞれが歌うような、あるいはお経を読むような調子で興味深かった。会合は最後にムスリムがよくやる顔を洗うような仕草を全員でしてお開きとなった。

プロフ(中央アジア風炊き込みご飯)を頼んだが、この店のプロフは油が少なく美味かった。久々にありついたサラダも良かったのだが、その塩味で今朝のクルットの味を何度も思い出させられるのには困った。

昼食後、町にたむろしているドライバーたちと片っ端から交渉してみたがいずれも答えはNO。この時期に日帰りでソンクル湖に行くのは無理、宿泊もキャンプサイトが閉鎖されており無理とのことだった。やむなく満員の乗り合いタクシーで首都ビシュケクへ戻ることにする。乗り合いタクシーには自分を含め数人の乗客、助手席にはドライバーの娘らしき女の子。反抗期なのか父親から何か話しかけられても娘は生返事ばかりだった。なかなか良い車で、高速をぶっ飛ばして4時間強でビシュケクに到着した。

ビシュケクに戻ると明らかに気温が高く、山岳地帯を抜けたと強く実感できる。宿泊先は、キルギス初日にバスで乗り合わせた日本人女性が勧めてくれたBishkek Guest Houseで1泊7.5ドル(4人部屋ドミトリー)。団地72号棟でインターフォン26Bを押して7階に上がる。老朽化した団地の中に宿があり、存在を知らなければ決してたどり着けない場所だ。

宿泊者は中国人を始めアジア系が数人と欧米人も数人。中国人カップルと同室になる。これから行く予定の各国のビザ取得に苦労しており、もう2週間以上ビシュケクから動けないでいるらしい。早くこの国から出てインドにでも行きたいとこぼしていた。

夕食は初日と同じイスラム色の強い食堂で、サラダとマトンライスで260ソム(約400円)。

宿に戻って英語が堪能なオーナーと話す。イスラムへの興味もあってこの国を訪れているのだと言うと、色々興味深い話をしてくれた。ソ連時代、この地ではイスラム教は単なる伝統にすぎず日々の行(彼はPracticeと表現していた)をする者も少数だったそうだ(Practiceしたくてもできないという状況でもあったそう)。ソ連崩壊から四半世紀、彼自身もここ15年ほどの間にPracticeを行い始め、続けるにつれ自分の内面が変わっていくのが実感できるのだという。1日5回の行を行う度にそれを意識すると言っていた。

日本人が非常によくルールを守る民族だという話題になり、その守るべきルールも日本の場合社会から示されるルール(外側からの規範)、イスラム社会では信仰によるルール(内側からの規範)なのだというような話が出た。真偽はともかくとして非常に興味深い話だった。

ムスリム男性の多くは独特の白い帽子をかぶり、あごひげを伸ばしているのだが、彼自身もあごひげを伸ばし始めており、これも信仰の深さ、イスラムへの忠誠の証なのだそうだ。

ソンクル湖へ行く事が叶わなくなったことで今回のキルギスの旅はここで切り上げることにした。次の訪問国:中国への航空券がたまたま安く手配できたので空路で移動する。次の訪問地は中国:新疆ウイグル自治区のカシュガルだ。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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