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中国西域への旅 甘粛省 夏河から郎木寺(ランムス)へ

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今日は中国:甘粛省の夏河から郎木寺(ランムス)へ移動する。1日1本しかない7:40発のバスに乗るので宿が寝静まっている時間帯に、宿の主人を起こして鍵を開けてもらわなければならない。寝起きにもかかわらず愛想よく見送ってくれた。

バスターミナルまで1元の市内バスで向かう。バスターミナル周辺にろくな店がなく、食べ物を調達することができない。昨日同様、バスの車内が凍えるように寒い。窓ガラスの内側がうっすらと凍っている。

今日も市街地をノロノロ運転して客をかき集めてから出発する。早朝なので車通りが少なく、昨日も訪れた合作の北バスターミナルまでわずか1時間で到着する。乗客の大半はここで下車し、入れ替わりに2,3人が乗車しただけで合作を出発する。今日は曇り空で陽が当たらず、9時を過ぎてもまだ寒い。窓の外の景色も薄茶色の草原にうっすら霜が降りてくるようになった。沿道の川もすべて凍っている。

途中、瑪艾(Hange)という町でも停車し乗客を募る。町には長髪のタクシードライバーの姿が見える。長髪男がいるというのはほかの地域と際立って異なる点だ。チベットには意外に髪の長い男が多い。

大型車両が行き交うような幹線道路でも五体投地する人々がいる。一体この人たちはどこから来てどこまで行くのだろうか。このあたりの通りはかつて茶馬古道と呼ばれ、中国とチベットを結ぶ交易路であった。中国でとれた茶をチベットまで運び、代わりにチベット産の強い馬を連れて帰る道だったそうだ。この道はそのままチベット人の巡礼路ともなっており、農閑期の冬の時期にはるかかなたチベット自治区ラサまで五体投地で向かう人たちが今もいるのだという。

結局ちょうど4時間で郎木寺に到着した。標高3300mを超える場所にある、チベット人にとっては重要な場所の一つである。思った以上に町は閑散としており、多くの宿や食堂が閉まったままだった。

ここでも宿探しに少々手こずるが、別の宿からの紹介で松贊仓賓館2号店:80元(約1200円)を確保できた。

宿の目の前にある食堂で回鍋肉。34元(約510円)と完全なツーリスト価格だ。

この町もかなりムスリム人口は多いようで、ホテルを経営しているのがムスリムの人だったりする。町全体ではものすごい数の宿や食堂があるのだが、その大半が営業していない。ここは一大巡礼地だと思ったのだがこの閑散ぶりは意外だった。閑散とした町なかをヤクの大群が悠然と通過する。

ここ郎木寺には2つの有名な寺院がある。そのうちのひとつ、達倉郎木寺(セルティゴンパ)へ行ってみる。

ここは今でも鳥葬が行われている数少ない寺として有名である。鳥葬とはチベット伝統の葬儀の方法で、遺体を切り刻んでハゲタカの大群に食べてもらうというものである。チベット人にとっては魂の行く末が重要なのであって、魂が抜けたいわば抜け殻である遺体にはそれほど執着しないらしい。2年前にチベット自治区ラサ郊外のダク・イェルパという鳥葬場に行ったことがある。子供は鳥葬にすることはできず、樹葬と言ってかごの中に入れて木からぶら下げておく方法を取るのだとも耳にした。いずれもチベット独特の死生観がうかがえる風習である。

日本でも沖縄の一部地域では風葬(遺体を野ざらしにして風化を待つやり方。現在は行われていない)、土葬など我々が一般的だと思い込んでいる火葬以外の葬送の方法がある。

敷地内にはいくつもの建物があり、巡礼はそのひとつひとつを参詣していく。

寺の敷地の先に草原が広がっており、散歩がてらぶらぶらと歩いてみる。冬を目前にしたこの時期とあって辺り一面薄茶色の草原である。

遠くにいるチベット人のおばあさんが「そっちじゃない、こっちへ行くんだ」とさかんに大声で指示してくる。どうやら鳥葬台へ行こうとしていると思われたらしい。それならと指示された方向へ進んでみる。やがてタルチョ(経文が書かれた色とりどりの布)が斜面一杯に張られた丘にたどり着く。どうやらここが鳥葬台らしく、あたりには頭蓋骨の破片や背骨、腰骨などが点々と散らばっている。ダク・イェルパで感じたものすごい臭気は全くしない。あたりに生き物の気配はなく、風がやむと完全な静寂に包まれる。

続いてもう一つの寺、安多達倉郎木寺(キルティゴンパ)へ行ってみる。セルティとキルティ、この隣接するゴンパはなぜかあまり仲がよろしくないという噂を耳にした。こちらのキルティはやたら小坊主が多い。夕方のこの時間、駄菓子屋に群れ集っている。まだ10歳にもならないような少年僧が大勢行き交っている。子供たちは寺の中の学校に通っているようで、時間割表が貼りだされていた。

本堂では大勢の僧侶が読経をしており、外では何人かの僧が寒さに震えながら立ったまま待っている。師範格かと思われるえんじ色のコートを着た僧が読経を見回っている。

堂の周辺は少年僧たちが暮らす房のようで、中から子供たちの読経の声が聞こえてくる。あちこちの僧房から灯りと、夕餉の準備らしい煙が立ち上っている。

寺の敷地の最奥部から先は深い峡谷で、ここはトレッキングコースとなっているようである。峡谷からの水が川となって集落の間を轟々と流れている。

日が暮れ、寺の敷地を出て町へ戻る。18時を過ぎると多くの店が閉まり、数少ない営業中の清真(イスラム)食堂で夕食。コメはないとのことで鶏蛋面13元を注文。「蛋」はどうやら鶏卵のことのようである。

チベット人にとって最も重要な聖地のひとつであるここ郎木寺で最初の夜を迎える。ここは3300mを超える標高で猛烈な冷え込みになるだろう。幸い部屋には床暖房が備え付けられているのでできるだけ暖かくして眠りにつく。

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