中国西域への旅 青海省 西寧 タール寺(塔爾寺)
中国:青海省の西寧でビザ延長申請を終え、2日後のビザ受け取りまで時間ができた。ここから30㎞ほど南西へ下ったところにチベットでも特に重要な寺院のひとつ、タール寺(塔爾寺)がある。そこへ足を延ばしてみることにする。
小籠包屋で朝食。最初に間違って4元の卵わかめスープを頼んでしまったので、改めて小籠包8元を注文してこれは昼食用に持参する。朝の時間帯の小籠包屋は出勤前だろうか、立ち寄る人でいっぱいで店員もあまりの忙しさに殺気立っている。
タール寺へは市内を走るバスとは別のバスで行くことができる。宿の近くのこのあたりのバス停に、市バスとは別の、行き先を明示したバスが20分に1本程度の間隔でやってくるのでこれに乗る。運賃3元。このバスの存在を知らずに車をチャーターしたりすればどれだけの金額がかかることか。
距離にして30kmほどのはずなのだが結局到着まで1時間かかった。自分以外の乗客はすべて地元の人たちだったが、終点のタール寺まで乗っていたのは自分だけだった。バス運転手にここからは歩いて行くんだと言われて道なりに進んでいくが、いきなり最初で道を間違ってしまい妙なところに迷い込んでしまった。行けども行けども寺はなく、まあいいかとどんどん坂を登っていく。魯沙尓鎮青一村、青二村と登っていくごとに数字が増えていく。途中にイスラム教のモスク:魯沙尓上街清真寺があり、この辺りはムスリムが多く住むエリアのようだ。
タール寺周辺には恐ろしい数の宿がそれこそ無数にある。おそらくチベット各地からの巡礼者がこれらの宿に泊まるのだろう。名所があるおかげでこの辺りは非常に栄えて活気がある。先ほど間違えて歩いた道とは違い、こちらは完全にチベット人の町である。道の両側にずらりと並ぶ店は仏教関連のグッズ(数珠、お香など)を取り揃えており、まるで功徳を積むためにここで金を使えと言っているようだ。チベット人は商売ごとに関してはなかなか抜け目がないというかしたたかな印象がある。イスラムとチベット、どちらが商売上手なのだろうと考える。
タール寺入り口にたどりつき入場料80元を払って中に入る。内部は一大観光地化されていて、チベット人の物売りがやたら多い。
ここタール寺は14世紀から600年にわたって建造された6大ゲルク派寺院のひとつだそうだ。今どきの服装の若者が地面に額を付ける本格的なやり方で、入場口近くのチョルテン(仏塔)で祈りを捧げている。一方でスマホでそこらじゅうの写真を撮りまくってもいて、伝統と現代の同居が興味深く感じられる。
これから冬のかけての時期はチベットでは巡礼の季節であり、ここタール寺にも多くの巡礼者が遠方から訪れているようだ。五体投地というチベット独特のやり方で祈りをささげている人も少なくない。若い僧はもとより、ブーツにダウンジャケットの若者も手とひざにサポーターを付けて五体投地を繰り返している。全体的にはチベット独特の服装で来ている比較的高齢の女性が多いようだ。
中には本物の民族衣装に、これも民族独特のドレッドヘア、身体中ほこりだらけの男もいた。あの汚れ方から見て、彼は相当に長い距離を五体投地で来ているのかもしれない。彼が五体投地しているときは他のチベット人巡礼者も彼の進路を妨げないよう足を止めていた。みな彼には一目置いているようだった。チベットでは冬の半年をかけて1000㎞以上の距離を五体投地で進む人もいるので彼もその一人なのだろうかと思ったりした。
ところがチョルテンまで達したところで彼は五体投地を終え、駐車場に停めてある高級そうな車の所へ行って着替えを始めている。着替え終わると他の仲間とともに車で行ってしまった。車を使って効率的に多くの場所をまわって巡礼をしている、といったところだろうか。
タール寺は広大な敷地の中に多くの寺院や建造物が立っている。この広い敷地内を五体投地でコルラ(時計回りに回る巡礼方法)している人も少なからず見かけた。意外に女性が多かった。一方でチベット僧たちはスマホをいじりながらぶらぶら歩き、あるいは車に乗って彼らを一気に追い抜いていく。
あちこちにマニ車が置かれていて、みなこれを回していく。中に経文が入っており1回マニ車を回すと1回お経を読んだのと同じ功徳が得られるという便利なものである。ラマ僧がマニ車を回すのをあまり見たことがないが、彼らは実際に経を読むので回す必要がないということだろう。マニ車はあくまで一般大衆のためのものということか。
ここでもメインのエリアから外れたところに入り込んでしまったようで、僧房など日々の生活をするいわば寺の中にある町を歩いている。家らしい建物も多く、どうも僧ではない人が住んでいるようである。これだけ大規模な寺になると僧侶以外の人も多いのだろう。
1匹の犬が寄ってきて自分の周りから離れようとしない。そのうち数十m先まで走って行っては振り返ってこちらをじっと見るという行動を繰り返すようになった。どこかへ案内しようとでもしてくれているのか、ついて行ってみることにした。
結局一番高台まで連れて行かれただけだったのだが印象的な町並み(と言うのか)を見ることができた。一番高い場所にはこれから五体投地で坂を下ろうとしている巡礼者たちがいた。邪魔をしないようそっとその場を離れる。
またしても寄り道に時間を食い過ぎたので急いでメインの寺院を見て回る。
寺院でチベット人がやっていた礼拝の方法を見よう見まねでやってみる。額の前で両手で三角を作り、それを鼻、胸へと順に下ろしていき、最後に手を下ろすと同時に頭を下げる。どことなくイスラムの礼拝に近い気がしないでもない。
頭の上、あごの前、腹の前で合掌し、ひざまづいて地面に額をつけるというやり方の人もいる。最もへりくだったやり方が五体投地で、立位からうつぶせになって両手の平、額、両ひざの5か所を地面につける。これの繰り返しで尺取り虫のように少しずつ進んでいくというのだから想像を絶している。
あちらこちらの堂内にはパンチェン・ラマ10世の写真が飾られている。パンチェン・ラマはダライ・ラマに次ぐ存在であり、チベット民衆の心のよりどころと言えるだろう。パンチェン・ラマ自身を仏像に仕立てて、その周りを多くの小さい仏像が囲むような造りにしている寺もあった。
あごひげを生やしたムスリムとラマ僧が並んで歩く光景を何度か見かけた。あるべき姿を目にしたような気になる。
チベットの寺院は意外に絢爛豪華なものが多い。大衆からの寄付もあるのだろうが、実は国あるいは省などからの支援が大きいのだという。チベット族全体に対する施策と矛盾するようだが、どこのだれかわからない所から多額の寄付を受けるよりは国が援助しておいた方が管理しやすいという事情があるらしい。
ここタール寺は広大なので、駆け足でも全部を見て回ろうとすると何時間もかかってしまう。ここは標高3000m近いので坂を登るときも息苦しさを感じてなかなか足が進まない。この広さの寺を五体投地で回ろうとすると一体何日かかるだろうかと考えてしまう。信仰の力というのはとんでもない行為を可能にするものだと、信仰心の薄い自分はほとほと感心する。
寺が次々に門を閉め始めた18時頃、バスで西寧へ引き返すことにする。
宿の近くで昨日昼食を食べた同じ店で夕食。近隣でコメを出す店がここぐらいしか見当たらない。逆にこの店は麺を出さない異色の存在なので、地元客があまり寄り付かないようでもある。加えて一品一品の値段も高めで量も少ない。
西寧の町を歩くと日本と同じようにティッシュ配りをしている人がいる。ここ中国では日本よりも受け取ってもらえる確率は高いだろう(中国のトイレにはトイレットペーパーがついていることはまずないので)。
スマホアプリのmaps.meで見てみると現在の宿:理体青年旅舎(Lete Hostel)が3軒あることになっており、その旨を主人に伝えると明日早速maps.meに抗議するとのこと。以前ロシア人客に指摘されたことがあり、お前が2人目だと言われる。彼が娘の誕生日に外国のコインを渡したいというので、持っていた日本円硬貨を渡す。5円玉のように穴の開いたコインは世界的にも珍しいだろう。
今日タール寺で会った老婆の巡礼者の目が忘れられない。彼女は自分を中国人(漢民族)と誤解したようで、この上ない憎しみのこもった眼差しでこちらをにらみ、何か呪詛の言葉をつぶやいた。違うんだと言いたかったが、結局何も言えなかった。チベット人の漢民族に対する感情には非常に厳しいものがある。漢民族はチベットの寺院を次々に破壊し、チベット人を弾圧し、チベット文化を根絶やしにしようとしていると感じている人は少なくない。自分は中国人ではなく日本人なんだと言ったところでよそ者、部外者であることには変わりはない。チベットの過酷な現状を知るにつれ、物見遊山の自分がそこにのこのこと踏み込んでいくことに引け目を感じるようになってしまった。以前チベット圏を旅した時に比べて、チベットが心理的に逆に遠くなった、懐に入って行きづらく感じた、そんな1日だった。
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