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中央アジア:ウズベキスタン観光 カラカルパクスタン共和国へ

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ウズベキスタン西部の古都:ヒヴァで3日目の朝。今日は郊外へ古代の城=カラ巡りに出かける。ここから先はウズベキスタン内でも自治が認められているカラカルパクスタン共和国という地域へ立ち入ることになる。ここには昔の城跡が多数残されており、ユルタ(遊牧民のテント)で宿泊することができる。

ヒヴァの宿;アリベックで最後の朝食。いつものように2Fのテラスへ上がると、メタンを扱う韓国との合弁会社を立ち上げているという3兄弟が朝食を食べに来ており、同席する。日本人であると言うと興味を持たれたようで色々聞かれる。三男が英語がある程度できるので会話にはそれほど苦労しなかった。

9時過ぎに出発。ヒヴァから最寄りの都市:ウルゲンチを経て北へ向かう。アムダリア川にかかる橋を渡る直前で1回、川を越えたところで1回、パスポートを持って行かれての厳重なチェックがある。ドライバーのパスポートもチェックされる。

走り続けていると道路の先に大きな門が見えてきた。この門をくぐるとその先はカラカルパクスタン共和国だ。

出発2時間ほどで最初のカラ(城跡をカラと言う。今日はカラ巡りである)であるGuldurson Kalaに到着。四方を土の壁で囲まれた広大な空間であるが、内部はだだっ広い草原になっている。紀元後1世紀頃のもので放擲されてから長いときが経過しており、朽ち果てた感じを通り越して自然に帰りつつある。正直なところ期待していたほどのインパクトを得られなかった。幸先良くないスタートである。

次に訪れたのが今日宿泊する予定のAyaz Kalaで、そこのユルタで昼食を食べる。シューパというジャガイモとピーマンのウズベク風スープやウズベク風肉じゃがのディムラマ、白いお菓子ぺーチェキが美味かった。欧米人団体客も来ていたが、彼らはかたくなに洋食しか食べない。どう見てもウズベクランチの方が美味そうであった。ドライバーと目配せして、あいつらわかってないと無言で確認し合う。ウズベク語でおいしいを意味する「マザリー」を連発する。

午後はまずToprak Kalaを訪れる。ここにも小規模なテントサイトがあり、ここで3000スムを支払ってから城跡へ立ち入る。今朝までの宿で一緒だったドイツ人とスイス人のカップルは実はこのとき既にこのテントサイトにいたらしい。当初は次の日にカラ巡りをするつもりだったようだが、半日繰り上げたそう。

午前中の消化不良を吹き飛ばすようにこのカラは素晴らしかった。最高の絶景で、残された遺跡が往時の栄華を大いに連想させてくれる。太古にこのようなものを建造したという事実がにわかには信じがたい。遠くに見える山がインド北部ラダックのラマユルを思い起こさせるような月色だったのも印象に残った。城跡の一番高いところに登りそこから絶景を堪能する。すごい風が吹き付ける。

そこから車で10分ほどで次の目的地:Kyzyl Kalaへ。ここは土台部分を修復工事中だった。工事の邪魔をしないよう上部の城跡部分へ入ってみる。飛び交うハチの大群をかき分けながら前に進む。ここも高台に築かれ、四方を土壁に囲まれていくつも覗き窓が開けられている。先ほど訪れたToprak Kalaの姿を遠くに見ることができる。

夕方になり再度Ayaz Kalaへ向かう。ここは今日一番の絶景である。何もないだだっ広い荒野に2つの城跡が屹立している。あとは木1本生えていない荒涼とした大地が地平線まで続いている。かつて訪れたインド北部のラダック地方を思い出す。

 

やがて日が落ち始め、古代に積まれた巨石を夕陽が照らす。1時間だけの約束でカラに登ってみる。メインのカラは砂漠の上、小高い丘の頂上にある。ここでも風は強く、砂の上の至る所に風紋が描かれている。砂自体も時々刻々風によって動かされ、さながら砂漠が生きているようである。Ayazu Kalaには3つあり、それぞれI、II、IIIの名前が付けられている。一番高いところにあるのがIでそこからIIを見下ろす形になる。IIIは来る途中にあったはずなのだが、崩壊が激しすぎてただの岩の塊と区別がつかず見落としてしまったようだ。

いざ夕食の時間になって、ユルタの準備が全くできていなかったようでかなり待ち時間ができる。昼食時と同様、かなり大きな団体客が入っており、そちらにかかりきりになったのではと推測した。団体客はフランス人のようで、ギター片手に延々と合唱しまくる。よくこれだけ次から次へと歌えるものだと感心する。

外では夕陽が遠くの山を凄い色に染めている。細い三日月が空に浮かんでいる。

ユルタは全部で10個以上はある。スタッフだけでなく子供も2人、犬も数匹いて、彼らはここに住み込んでいるのだろう。トイレや洗面所も戸外ではあるがきれいに整備されており、思ったほど不便ではない。

ここに来て色々な場面でラダックを思い出した。文化圏から言っても、地理的にも比較的近いはずだが、何より気候が近いことが類似性を生んでいるのかもしれないなどと取り止めなく考える。ただし時期的にはこちらの遺跡の方がラダックよりはるかに古いはずだ。トルコから連なるイスラム文化圏とチベット文化圏の交わりについて想いを馳せる。

1000年よりはるか前にこのようなものを造ったというのはにわかには信じがたいことだ。いずれの城も頂上からの眺めが素晴らしく、それは見通しが良いことを意味している。造られた当時は純粋に戦術学的見地から築かれたはずだが、それが後世になって全く意図していなかった美しさの点で評価されているのも不思議な感じだ。いずれにしてもこの「カラ巡り」、期待以上だった。

夕食中にウズベキスタン人の団体が同じユルタに入ってくる。彼らはフランス団体客向けのショーを行うミュージシャンだそうで、食事場所兼楽屋としてこのユルタを使わせてほしいということで快諾する。アコーディオン、ウズベクギター(とでも言うのか)、太鼓の演奏をバックにヴォーカル兼ダンサーのアイシャが歌い踊るという形態のようだ。一緒に食事をして「何、お前日本人なのか」「皆さんはウズベク音楽を演奏するバンドなんですね」「バンドじゃないわよ、私はダンサーよ」等々話もしてくつろいだ後、おもむろにアコーディオンの音に合わせてギターがチューニングを始める。アイシャもメークアップを始める。

楽屋を共有したよしみで、フランス人客に交じって特等席でショーを見せてもらう。歌詞が全く分からないが、ウズベク人はところどころ爆笑している。男と女のやり取り、恋の駆け引きを歌にしているのではないかと思う。フランス人たちは盛り上がって大騒ぎしている。寡黙なドライバー氏もウォッカが入って饒舌になっている。ショーに合わせてさかんに声を上げたり合いの手を入れたり、彼が一番楽しんでいたかもしれない。ショーの途中でアイシャに呼び出され一緒にダンスをさせられたのには参った。こういうのは本当に苦手だ。

音源はこちら
 

 

ウズベクギターは楽器の構え方がかなり独特で、曲げた右腕で楽器を下から支えてなおかつ右手のピックで弦をはじく。楽器の重みがかかるので右手の可動範囲が小さくなるはずで弾きにくいように見えて仕方ない。しかしこのあとイスラム圏を旅して目にした弦楽器奏者はすべてこの弾き方だった。

結局お開きになったのは22時。ギャラはいくらだろうと思って見ているとひとり50000ソム(約830円)といったところのようだ。高いのか安いのか。彼らはこんな時間にこのへき地から帰らなければならない。なかなか大変な仕事ではある。後片付けをしながらアイシャが「アイシャ…日本…バンド…」とさも不思議そうにつぶやいている。

夜、寝る前にユルタの外に出てみる。見たことのない圧倒的な星空。天の川もはっきりと見え、そのほかに無数の星が瞬いている。写真に撮りたいのだがうまくいかない。旅に出て何をしたいかと問われれば「すごい、何だこれは!」というものに触れたいと答える。この凄い星空を見てまさに「何だこれは!」と心の中で叫んでいた。

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