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中央アジア:ウズベキスタン旅行 ブハラからヒヴァへの移動

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今日は4日間滞在したウズベキスタン:ブハラから西部の古都ヒヴァへの移動だ。移動距離は500㎞前後はあると思われ、東京~大阪間のような感覚だろうか。なお、日本のガイドブックなどではヒヴァと表記されることが多いが、地元での発音はどちらかというとキヴァである。実際、英語表記もkhivaである。このように現地の実態に即していない観光情報を鵜吞みにしたせいで、これ以降も各地で自分が覚えていた名前と現地でのそれの相違に悩まされることになる。今回は一応、日本での慣例に従って「ヒヴァ」と表記する。

今回は車での移動で80000ソム(約1300円)。筑波大学生だという日本人男性と同道することになった。彼は言語学専攻で来年からウズベキスタンに留学予定とのことで今回はその下見だそうだ。ロシア語だけでなく、ウズベク語も少し話せるようで何とも心強い。

その彼に出発早々大活躍してもらうことになる。乗り込んでからまず料金で揉め事が始まった。昨夜、宿の主人から聞いていたのはひとり80000ソムだが、それに加えて40000ソム払えという。話が違うと言うと、それならもう一人集まるまで出発しないという。宿にも電話したがらちがあかない。そんな遠くへ行く人がそう簡単に見つかるわけもなく、時間だけが経過する。日本円にすれば大した金額ではないので払ってしまえばいいのだが、どうしても簡単にそれをやってはいけない気になる。結局、もめ事を見かねて仲裁に入ってくれたドライバー仲間の口添えもあって一人20000ソム追加ということでお互いしぶしぶ妥協することになる。自分も筆談で抗議したのだが、何よりこの大学生のロシア語・ウズベク語交えての大奮闘がなかったらどうなっていたことか。これには本当に助けられた。

何事もなかったかのように車は走り始める。見事に何もない大平原をひた走る。

途中の店で昼食。ブハラ~ヒヴァ間には町などないので、ドライバー達のためのこういう小さな食堂が生命線になる。JICAドライバーとして働いているという地元男性と同席する。今、ヒヴァには日本人職員が1人だけいるそうで交代制なのだとか。ヒヴァの宿情報やおすすめの食べ物などを教えてくれる。

再び何もない平原をぶっ飛ばす。ドライブ終盤になってアムダリア川が見えてきた。ブハラの宿で一緒だったイギリス人は歴史好きで、彼にとってはアムダリア川を見ながら走るというのは何物にも代えがたいロマンだったそうだ。かつてアレクサンダー大王がペルシャと戦った時に越えたという由緒ある川を、歴史に無知な自分はただぼーっと眺めている。

ようやく、ヒヴァ最寄りの街:ウルゲンチが見えてくる。ここが想像をはるかに超えた都会であることに驚く。橋を渡っているとき、男子大学生と2人で「この景色、東京と変わらないよね」と話す。

結局、出発こそかなり遅れたものの、日のあるうちに到着できた。所要時間:7時間弱というところか。車はヒヴァの1軒のゲストハウス前に泊まる。早速客引きされるも、昼食時にJICAドライバーに勧められた宿:メロスホテルにすると断る。ところがそこは少し高めと判明し結局この宿:アリベックに落ち着く。

男子大学生は既に予約済みとのことで隣の宿にチェックインする。

ヒヴァは高い城壁で囲まれた古代都市;イチャンカラ(「カラ」は城を意味する)がそのまま残っており、この宿:アリベックはその西門の目の前に位置している。後から知ったことだが、イチャンカラ内部の宿はカラ自体の都市基盤が古いため、湯が出ない、停電などがよくあるのだとか。外の方がそういった事態は回避できるということだ。当初勧められた宿もカラ内部にあり、結果的には良い選択だったかもしれない。色々あったがドライバーに感謝である。

宿に荷物を置いてから大学生と城内を少し観光していると、オーストラリア人夫婦に話しかけられる。彼らはカラ巡りをしてきたそうでそれが素晴らしかったという。ここで言う「カラ」とは目の前のイチャンカラのことではなく、もっと郊外にある1000~2000年以上前の城の残骸のことだ。遊牧民の生活するテント:ユルタにも泊まることができるらしい。その話を聞いて2人とも大いに心を揺さぶられ、行きたい気持ちにさせられた。

夕食はJICAドライバーが「この土地でしか食べられないから絶対トライしろ」と言ったTukhum Barak(トゥフンバラ)とシューターシャン(ニシュヴィトオシュ)を食べられる店(カルタ・ミナルというミナレットの目の前にある)へ行った。前者はヨーグルトをかけて食べるもののようだが、それが何とも微妙な味わいで、これなら別々に食べたほうが良いのではと思ってしまった。

大学生は明日がウズベキスタン最終日で午後にはタシケント行きの夜行列車に乗るのだが、できればカラ巡りにトライしたいので宿にかけあってみるそうだ。自分はもし行くならユルタに宿泊してみたいので明日は別行動ということになった。

この日は夕焼けがものすごい色合いに西の空を染めた。

夜になり、イチャンカラ内はライトアップされている。ヒヴァを象徴するミナレット(モスクに付属する塔):カルタ・ミナルが夜陰に大きく映える。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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