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スリランカ旅行 ゴール(Galle)3日目 ウナワトゥナ(Unawatuna)

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2月7日(火)

スリランカ南部の港町ゴール(Galle)で早くも3日目の朝を迎える。今日はゴール東へすぐのウナワトゥナ(Unawatuna)へ足を伸ばしてみる。宿からフォート駅前のバスターミナルへ行き、そこでバスを乗り換える。渋滞でバスがとんでもないノロノロ運転で、満員の車内は風も入らず蒸し風呂状態。バスで10分ほどと聞いていたが30分以上かかって到着。料金20ルピー(約15円)。

一目見て欧米人好みの典型的なビーチリゾートだと感じる。そこから歩いていくつかのビーチを経て丘の上の日本山妙法寺(World Peace Pagoda)へ。その名の通り日本発祥の宗教法人で世界各地に仏教寺院を建立している。ちょうど日本人住職が帰ってこられたところで色々と話をし、堂内にも招き入れられる。

住職はゴールに住んで19年になるとのことで地元の人からの信頼も篤いようだ。32歳で出家する前の学生時代から社会人時代にかけてはよく海外を放浪したそうで、ロシア東部からヨーロッパまで2年ほど旅をしていたこともあるとの事。アフリカを訪れた際にはタンザニア:ンゴロンゴロで大噴火があり自分がいた場所が跡形もなく吹き飛び、そのすぐあとにルワンダ大虐殺が発生したということで、天変地異というのは何かの前触れなのかと感じたそうだ。

ここを訪ねてくる日本人は少なく、いたとしてもツアー客が大半で、逆にここ5年ほどでロシア人の訪問客が急増しているそうだ。確かに堂内で一緒になった訪問客もロシアとベラルーシからの旅行者で、ビーチにもロシア人が多いようだ。地元の若者もここを訪れており、昨日見た小学生たちと同様にお坊さんの足元にひざまづいて挨拶をしている。

17時半からのおつとめに参加するよう勧められる。それまでに住職は車で買い物に行かねばならないとのことで、手伝ってくれとの事で同行する。車の中で色々話をする。

2011年まではスリランカ国内では国内紛争が絶えず、爆弾テロも頻発していたという。鉄道やバスが標的として狙われ、テロのあった場所に急行して凄惨な現場で読経をすることも多かったそうだ。住職いわく現場はまるで肉屋だったという。仏教が深く根付いているこの国では、このような混乱の極みにあっても僧侶がそこにいるだけで人心が落ち着くということが珍しくないらしい。反政府軍と政府の間に立って何度も話し合いでの解決を仲介しようとしたがダメだったそうだ。

テロのおおもとの原因は、スリランカ北部とインド南部に多く暮らすタミル人とスリランカでは多数派のシンハラ人の間での民族問題に端を発するということで、この対立の火種を作ったのはイギリスによる植民地支配だ。タミル人は現在ではイギリス、ノルウェーなどヨーロッパを始め世界中に暮らしているそうで(ノルウェーで港湾関係の仕事をしているのは大半がタミル人だとか)、その世界中に散らばったタミル人が虐げられた自民族の国をスリランカ北部に建国するために反政府勢力:タミルの虎に大量の資金援助を行った結果、泥沼の内戦はその後27年も続くことになったということだ。6年前に締結された和平も話し合いというよりはシンハラ人勢力による武力鎮圧で半ば無理やり停戦に持ち込まれたというのが実情だということだった。6年前まではスリランカ国内を旅行すること自体が極めて危険だったというが、今のこの国からはそんな雰囲気をうかがい知ることは出来ない。

住職自身なぜ出家するに至ったのかも聞いてみた。中学生の頃から人はいつか死ぬという事実に恐怖を抱くようになったが、25歳からの海外放浪でインド:バラナシでガンジス川での葬式を見た際に遺族や死者を見送る人たちの涙ひとつない様子を見て、彼らは輪廻転生を信じていることを実感し、それとともに死への恐怖がなくなり仏教へ関心を持ち始めたという。それまでは会社勤めをしており、出家する際には当然ながら周囲の強硬な反対にあったそうだ。

夜のおつとめを終え、食事をしていけとお誘いいただき、夕食をごちそうになる。地元の人たちが和食に拒否反応を示すので、寺の食事はスリランカ料理オンリーだそう。水牛の乳から作ったヨーグルトが美味かった。ゲストノートを見てみると日本を始め多くの国からの訪問客がコメントを残しており、ここで何日も宿泊した人もいるようだ。そのあと、車で宿近くまで送ってもらう。何から何までお世話になりっ放しであった。

2月8日(水)

洗濯物があっという間に乾くところを見ると相当に湿度が低いようだ。日本山妙法寺の住職いわく夏の湿度はものすごいものらしいので、気温は高いものの今は非常に過ごしやすい時期ということになるのだろう。

一昨日ビーチで会った大学生と待ち合わせて食事する。日本食を食べたことがないので試してみたいというたっての希望で、ゴールフォートのダッチホスピタル(Dutch Hospital)内に見つけた日本料理屋に行く。自分は天丼を注文し、彼には一番スリランカ料理に近いであろうカレーライスを注文する。日本のカレーが全く口に合わないようで半分以上残していた。

彼はコロンボの大学で機械工学を専攻しており、将来は日本の技術を学びたいと語っていた。庭で取れたというこの地方独特のマンゴー、ハルタコロンボを持ってきてくれた。市場などで買うとかなり高価なものだそうで、1週間程度寝かせてから食べるようにとの事。しばらくはマンゴーを持ったままの旅になる。

日本とスリランカの習慣の違いについての話になり、「日本では列車内で通話しないというのは本当か」と興味津々な様子で聞いてくる。スリランカの習慣としては、公共の場での酒とタバコを禁ずるというものがあるそうだが、あくまで地元民が対象で観光客は大目に見てもらえるらしい。

このあと、同じく一昨日知り合ったホテルのコットゥ専門シェフの家で手料理をごちそうになる予定だったが、忙しくなって都合がつかなくなったとの事で急遽キャンセルとなる。後にスリランカ人と結婚したドイツ人女性から聞いたところによると、スリランカ人の悪い癖として食事や遊びなどの誘いを断れないというものがあるそうだ。その日に用事があって無理だとわかっていてもNOと言えず、結局土壇場になってキャンセルしてしまうことが少なくないらしい。今回のケースもそれなのだろうかと思ったりする。

昨日と同じ食堂で夕食、チキンチャーハン300ルピー(約210円)。昨日と今日の2回来ただけなのに早くも常連扱いされる。日本人とわかりさらに歓迎ムードとなる。道を歩いていてもすれ違う人から必ず声をかけられ、外国人へのフレンドリーさ、親日度ともに非常に高いように感じられる。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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