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中国西域への旅 青海省:同仁から甘粛省:夏河(ラプラン寺)へ

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中国:青海省の同仁から甘粛省の夏河へ移動する。早朝に出発するので宿のみんなはまだ眠っている。言葉はあまり通じないながらも、昨夜は彼らと色々と話し込んだが、今朝はフロントで番をしている青年とだけ顔を合わせて宿をあとにする。

チベット伝統の上着がロビーに置いてあったので試しに袖を通してみる。両方の袖がとんでもなく長く、両腕を下げると袖は膝下まで届く。丈も膝下ぐらいまであり、生地も厚くかなりの重さだ。これなら暖かいだろう。

歩いてバスターミナルに行ってみると夏河行きのバスは8時発の一本しかないとのことで既に出発した後だった。さてどうしようかと辺りを歩いていて出会ったドライバーと交渉して、相乗り60元(約900円)で行ってもらうことにする。2人の若い僧侶が既に乗っており、3人とも行き先は同じだ。ドライバーは山道を飛ばすが、運転をよく見ていると基本的には慎重な人とわかって安心。精悍な豹のような顔のドライバーで、格闘家の魔裂斗あるいは松田優作のような顔立ち。チベット男性にはこの手の顔立ちが多い。僧侶はずっとスマホをいじっており、何か食べたあとのごみを窓からポイと外に投げ捨てる。みなあまり喋らず、雄大な景色の中を突っ走る。途中にある川はもう日が高いにもかかわらず凍ったままだ。

結局出発から3時間半ほどで昼前には夏河に到着した。早速宿探しに入るもまたも外国人お断りの連発で苦戦する。結局市街地を貫く大通りを全部歩き通し、町外れの洋宗賓館で80元(約1200円)で交渉成立。宿には自分の他に客はいない。

宿近くのチベット食堂で昼食。同仁と同じようにここ夏河でも多くの食堂の壁に巨大なラサの地図(俯瞰図)が掲げられている。彼らにとってラサというのは神聖な存在、崇め奉るような存在なのだそうだ。ダライラマに次ぐナンバー2のパンチェンラマの写真も多くの食堂に飾られている。

ヤク肉スープと肉餅で21元。スープはあくだらけである。

若い僧侶2人が入ってきて同じような料理を注文する。ここチベットでは僧侶も日常的に肉食をするようである。あまりの標高の高さで野菜を始めとする食材が満足に育たないここチベットでは、肉食禁止などと言っていられないだろう。この僧侶たちもスマホに熱中している。店の人は彼らを特別扱いするでもなく、ごく普通に接している。外国人と察した僧侶が店を出るときにこちらに向かって手を振ってくる。坊さんに手を振られたのは生まれて初めてかもしれない。町を歩けばフィリピン人かと声をかけられる。すっかり日焼けしもはや日本人と思われることは少なくなった。

ここ夏河はラプラン(拉卜楞)寺で有名な町である。幸い今回の宿が寺のすぐそばということになったのですぐに足を延ばしてみる。

やはりチベット人の巡礼者が多いようで五体投地をしている人の姿も見かける。多くの人が礼拝の時に額を地面につけるのだが、これを何度も繰り返すとその部分に土がついてちょうどヒンズー教のティカ(インド人がよく眉間につけている赤や黒の点や模様)のように見える。

人々は寺のあるエリア全体をコルラ(時計回りに歩く巡礼方法)するような感じ。小走りにコルラする人もいて、恐らく何周コルラするかというのを自分に課しているのだろう。失礼ながら、そこまで人を追い越してお参りしなくても、と思ってしまった。ここでも巡礼たちの間にただの物見遊山の自分がいることにどうしようもない違和感といたたまれなさを感じる。

街角に箱に入れられた生まれたばかりの子犬が数匹置かれ哀しげに鳴いているが、通りがかったチベット人少女以外に気に留めるものは誰もいない。町には物乞いも多いが、どう対応するかは人それぞれのようである。生命の無常を悟っているかのようなチベット人の態度、と見えるのはこちらの勝手な思い込みか。

町の人々は開放的で屈託がない感じで、これまで訪れた他のどの土地よりも町全体に明るい雰囲気がある。

ラプラン寺の南、川の向こうに小高い丘がありそこへ登ってみる。3000m近い標高の丘の上からは集落が一望できる。風が強く砂埃がすごい。

16時頃からラマ僧が次々とどこかへ向かって移動し始めた。僧たちの装束を見ているとスタジオジブリのもののけ姫の主人公の衣装を連想してしまう。チベットではジブリと沖縄を思い出させる事柄に出会うことが多い。

ついて行ってみると石畳の広場で問答を行っている。独特の帽子をかぶった僧侶が座り、そこへ向かって立っている僧侶が手を打ちながら何かを一方的に畳みかけて言っている。いずれも若い僧侶たちで、中には遊び半分なのか、笑いながら問答を繰り返す僧もいるのだが、遠巻きに彼らへ向かって額を地面につけて祈る人たちの姿もあった。

何がどうなったら終わりなのかわからないままだったが、問答が終わった僧侶から順に解散となるようだ。お互いの袖をつかみあって転げ落ちるような勢いで笑いながら坂道を駆け下りていく僧侶たち。彼らはせいぜい中学生ぐらいの年代でまだまだ遊びたい盛りだろう。僧侶同士でふざけて頭を叩きあったり、つかみ合ったり、僧衣を身に着けていなければ、どこにでもいる子供たちの姿である。

広場にはまだかなりの人数の僧侶が残っており、いつの間にか座っていた僧も帽子を脱いでいる。突然合図の音が鳴り、僧たちが一斉に広場の端へ集合する。年長の座主を中央に車座になった僧たちが低い声で読経を始めた。

陽が傾き始めると一気に寒くなる。僧侶たちにも日中の行を終えてどこかほっとした気配が感じられる。

寺をあとにして、市内を走るバス(1元)でバスターミナルへ向かい、これ以降の目的地へ向かうバスの時刻などを確認しておく。その帰り道、町の方々のカフェでくつろぐ若い僧侶の姿が見られた。チベット僧とカフェの取り合わせは何となく奇妙な感じがする。近くの食堂で麺となすの炒め物の夕食。

宿に戻ると主人が部屋に石炭ストーブの準備をしてくれていた。標高が3000m近いこともあり朝晩の冷え込みはかなり厳しいそうだ。室内には電気ポットも備え付けられている。この辺りでは水道に天然の水源を利用しており(「自来水」と言っていた)、沸かした際に底に白い沈殿物が溜まる。この白い澱を避けて上澄みのお湯だけ飲めば問題ないと説明され、そういうものかと納得する。

19時頃になると町の大半の店が閉まり、通りは一気に暗くなる。日中は巡礼などでごった返していたが、この時間になると町を流れる川の音だけが轟々と響いている。

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