中国西域への旅 甘粛省 嘉峪関(ジアユグアン)観光
中国:甘粛省の旅は続く。体調不良と戦いながらの敦煌(ドゥンファン)滞在を経て、嘉峪関(ジアユグアン)へ向かう。ここは当初予定に入っていなかったが、トルファン(吐魯番)で知り合った西安博物館研究員の女性から勧められた場所である。
トルファンの長距離バス乗り場から嘉峪関(ジアユグアン)行きのバスがあるということでチケットを購入する。ところがこのバスは嘉峪関(ジアユグアン)行きではなく、その先の酒泉行きバスで終点に着いてみると既に嘉峪関(ジアユグアン)をはるかに通り過ぎてしまっていることが判明した。既に夕方で戻る手段もなく、やむなく酒泉で1泊することになる。
バスターミナルを出て宿探しに入るがこれがとてつもなく難航した。とにかくどこへ行っても外国人お断りで、この国はどうなっているのかと腹が立って仕方なかった。結局この辺でも比較的高級ホテルとして有名な酒泉賓館しか選択肢がなくなってしまった。ここは要人が泊まることもあるようなホテルなのでものすごい金額を覚悟していたが幸い200元(約3000円)で部屋を確保できた。たまには立派なホテルに泊まるのも良いだろうと無理に自分に言い聞かせる。
ホテル近くの(ウイグル料理店ではなく)中華料理店で夕食。日本人としてはやはりコメが食べられる方がありがたい。ウイグル料理店ではコメがそもそもメニューにないことも多いので、その点中華料理なら安心である。
翌日、ホテルからすぐの酒嘉公交バス乗り場から嘉峪関行きのバス(運賃3元)に乗る。1時間ほどで到着し、目を付けておいた7天連鎖酒店嘉峪関中路雄関路店(料金109元)へタクシーで向かう(初乗り6元で11元かかった)。7天連鎖酒店というのは中国全土に展開している格安ホテルチェーンのようで、部屋はコンパクトだが清潔で快適だった。
荷物を置いて、まず嘉峪関の城跡に出かける。ここは万里の長城の最終地点で、長城の終わりを見ることができる。4番か6番の路線バスで城跡まで行けるようだ。关城景区というのが城跡だ(「关」は「関」の簡体字らしい)。
入り口で入場料100元(約1500円)という超強気な値段設定にまず驚かされる。いくつかの門をくぐるたびに次の楼が現れる。昔に造られたとは思えない立派な構えである。建物については日本の城の天守閣と似ている部分も多々あるが、日本の城は石垣を組んでいるのに対し、ここでは堅牢な塀が土台である。
天守閣と言うべき建物はおそらく後世になって改修されたものだろうが、立派な造りである。背後に山脈が見えるのも防衛上の利点があってのことで、この山を越えて敵が攻めて来ることはできないという軍事上の計算があったようだ。
嘉峪関市は郊外に工場をいくつも抱える工業都市で、当然ながら城の背後には近代文明が広がっている。
1372年の築城以来200年にわたり、万里の長城は改築を繰り返されてきたそうだ。東は中国と北朝鮮の国境付近、海に面した山海関に始まり数千㎞を経てここ嘉峪関まで続いている。信じられない規模の建造物である。今回の中国の旅では西部地域のみを訪れるので万里の長城を目にすることになるなど思ってもいなかった。
今日はとにかく非常に寒い中での観光となった。18時に閉城ということでバスで市内へ戻る。バス運転手、城の入り口の係員などの横柄な態度が目に余る。何をそんなに居丈高に怒鳴り散らす必要があるのか理解に苦しむ。中国に入って以来目にしたことのない光景に出会って気分が悪い。
城に観光に来ていた中で外国人は自分くらいのもので、あとはみな中国人観光客だった。彼ら(漢民族)にとってはここは同じ中国でも「西」にあたり、物理的にも心理的にも非常に遠いものがあるのだという。中国人旅行者の多くは中国西域に憧れに近い感情を抱いている。彼らはおそらく「ずいぶん西に来たなあ」という感慨を抱いているだろう。一方のこちらは西の端から少しずつ旅してきて「ずいぶん東に来たなあ」という心境である。これだけ時間をかけて東進してきてもまだ中国西部、この国の巨大さ・広大さを改めて実感する。
宿近くの食堂で夕食。空腹もあって調子に乗って注文しすぎた。写真ではわかりづらいがいずれも皿が大きく料理の量が多い。店員が「あの外国人、全部食べ切ったよ」と言っているらしい雰囲気だった。
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