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中国西域への旅 甘粛省 敦煌(ドゥンファン)観光2日目

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中国:甘粛省にある敦煌(ドゥンファン)滞在も体調不良での療養を含めて延べ4日目となった。朝食は近くの食堂で羊肉入りの麺とパンのようなもの(何という名前かわからない)。例によって言葉が通じず注文に苦労するが、これも例によって他の客が助けてくれる。食事ひとつでも色々な人たちにお世話になっている。

今日は莫高窟(Mogao Caves)と並ぶもう一つの見どころ、月牙泉/鳴沙山へ向かう。バスで行けるはずなのだがバス停探しに手間取る。宿で場所を聞ければ良かったのだが、あいにく今日は英語ができる人がひとりもおらず会話にならなかった。町なかで何人もの人にバス停の場所を尋ねるが、なかなか正確な場所がわからない。ようやく町の中心部に月牙泉行きの3番バス停留所を見つける。

ほどなくしてやって来たバスに乗り、運賃3元であっという間に到着した。敦煌の町中から南の方向に砂漠の丘が見えていたのだがそれが月牙泉/鳴沙山だった。

入り口から一歩入るとそこは本物の砂漠で、月牙泉はその中に忽然と現れる三日月形の池である。どういうわけかこの池は長い間この砂漠に埋もれてしまうことなく、ずっとこの場所に消えずに残っているそうだ。その理由や由来を知りたいと思ったが、特に説明文らしきものは見当たらなかった。

月牙泉のそばに建つ寺院:月泉閣も何とも言えない良い風情である。あたり一面砂の中にこの池と寺がぽつんと建っているのは不思議な光景だ。

背後には巨大な砂山があり、見上げるとそこを登っている人たちがいる。自分も早速登ってみる。体調不良からかなり立ち直ったようで予想外に快調に坂を登れる。足元が地面ではなく砂なので踏ん張りが効かずなかなか骨が折れる。木のはしごのようなものが設置されているので、この上を歩けば何とか砂に足を取られずに登ることができる。周りを見てみると他の人たちはかんじきのようなものを借りて、それを履いて登っている。これだと足が砂に埋もれてしまわず楽に登れるだろう。15元で砂除けとセットで借りられるようだ。

木のはしごが終わった後もまだ斜面は続いており、あたりを好きなように歩き廻る。他にも何人か同じように歩いていたのだが、その人たちはどうやら歩いてはいけない場所を歩いていた(砂なだれを起こしかねない?)ようで、麓から係員が大声で戻るように指示していた。砂でできた山の稜線を歩くと、そのあとを砂がゆっくりと滑り落ちる。これは確かになだれ現象を引き起こしかねない。風が吹くたびに砂山は表情を変え、まるで生き物のように感じられる。寺院の裏山は立入禁止区域に指定されていて、山体変容の恐れありとの警告文があった。

朝からずっと厚い雲に覆われ寒いと感じていたが、午後になって雪が降り始めた。砂漠に降る雪というのも奇妙な感じである。風も強く、砂漠表面を砂が動き、山頂からは砂煙が上がる。

それにしても砂山の上から月牙泉を見下ろすと何とも奇妙な景色である。

ラクダで砂漠内を行き来することもできる。一面の砂の中をラクダが行くというのはまさに我々がイメージする砂漠そのものかもしれない。

15時頃から急に人が増え始めた。おそらく団体ツアー客で、1日ツアーに参加すると100~280元だそうだ(この料金の幅の理由はわからない)。そろそろ潮時かと砂漠を後にする。

町へ戻る途中に博物館があり、そこへ行ってみることにする。入場料無料だがかなりの分量の展示物である。昨日会った中国人バックパッカーと再会する。彼は「中国は文化大革命(1966~1976年)のときに貴重な歴史的遺産のほとんどを破壊し尽くしてしまった」と残念そうに語っていた。彼は中国に無数にある訪れるべき土地を何年もかけて仕事の休暇を取ってまわっているという。中国はあまりに広大なのですべてを見るには何年かかるかわからないと言っていたが同感である。

博物館の展示を見ると、今回は訪問を見合わせたホータン、コルラ、ハミなどのウイグルの町を含め、各都市が遠い昔から既に要衡であったことがわかる。各地で当時その土地で使われていたものとは別の文字による書簡も出土しており、当時から異国との交流が盛んであったことが伺える。当然通訳的な役割を果たす人は必要だったはずで、バイリンガルというのも今に始まったことではないのだろう。

明の時代から200年ほど敦煌は人も住まない管理外の地として放擲されていたそうで、そうなると砂漠が一気にすべてを飲み込んだだろうと想像する。年平均気温9.5度、平均最低気温マイナス9.5度、年間降水量40㎜、年間蒸発量2486㎜という過酷な環境である。それでもここに都市が栄えたのは地下水が豊富だったからだという。古代から都市の発展には水路の発達が必要だったようで、ウズベキスタンのブハラなども全く同様に水路が非常に発展した都市だったことを思い出す。莫高窟の昔(20世紀前半)の写真が展示されており、これを見てしまうと身勝手ながら補修改修後の現在の姿が味気なく見えてしまう。

夕食は宿近くの沙門市場内にある食堂でロバ肉チャーハン。初めてのロバ肉(ラクダかも)だがあまりこれといった特徴、違いを感じなかった。

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