中国西域への旅 甘粛省:郎木寺(ランムス)
中国:甘粛省の郎木寺(ランムス)の朝。3300mを超える標高とあって冷え込みは厳しい。朝一番で昨日も訪れた達倉郎木寺(セルティゴンパ)の鳥葬台に行ってみる。興味本位で見に行くことが不遜にあたることは百も承知だが、海外旅行を始めるきっかけともなったチベットを真に理解するためにどうしても見なければならないという気がなぜかしている。
空には雲が低く垂れこめており、茶色い草原の上にはうっすらと霜が降りている。鳥葬場は3500mを超える高さにあり、わずか200mほどを登るだけでも息が切れる。今朝は鳥葬は行われなかったようで人も鳥もいない。鳥葬の作業場と思われる台にはツァンパという麦を煎って粉にしたチベット独特の食品が一面に満遍なくまぶされている。チベット自治区ラサ郊外のダク・イェルパで鳥葬場を訪れた時は何とも言えない強烈な臭い(死臭かもしれない)がしたが、ここ郎木寺ではツァンパがそれを消し去っているようだ。作業台には遺体の解体に使うのであろう刃物が無造作に放置されている。
日本人の感覚からするとハゲタカに亡骸をついばませるというのはおぞましい感じがしてしまうのだが、実際にこの場に立ってみるとそのような残酷な感覚は一切感じられない。実際にその場に立ち会ってみればまた感想は変わってくるかもしれないが。この広々とした大地と大空のもとで葬られるやり方は「天葬」という表現のほうがふさわしいような気がしてくる。
チベットと日本の死生観の違いを思う。チベット人にとっては魂の行く末が問題なのであって、抜け殻となった亡き骸はもはや重要ではない。彼らにとって重要なのはごく限られた事柄で、それ以外のことは大した問題ではないのだろう。日常の些末な事柄にこだわって左右されてしまう日本人の自分としては、彼らに学ぶところが多いように思う。彼らの、人がいようがどこででも排泄してしまうことや、自分の周囲が汚れていようが全く無頓着なこと、など日本人としては気になるところがあるのだが、彼らにとってはどうでもいい些末な事柄なのだろう。
自分以外に生き物のいない静寂の中で静かに手を合わせてその場をあとにする。
鳥葬場の近くには今でもユルタ(遊牧民のテント)で生活する人たちがいる。ユルタに取り付けられた煙突から煙が出ており、そばには自家用車が停められている。ヤクの放牧で生計を立てているようで、ヤクを追い立てる人の姿がそこここに見られる。自分のいる位置がヤクを追い立てるのに邪魔だったようで、ヤク追いの女性に大声で注意される。長い鞭のようなものを使って、実際に叩くのではなく音で威嚇してヤクを思う方向に誘導しているようだ。
あたりを歩いていると昨日から通算3度目の顔合わせとなったチベット老婆と出くわす。最初はトイレの場所を聞かれ、2回目は自分のつけている数珠を買わないかと持ち掛けられた。今日は別の老婆と待ち合わせがあるようで、こちらを構っている余裕はない様子だった。
ここに限った話ではないが、チベットには犬がそこら中にいる。野良なのか飼い犬なのかわからないが、とにかく図体が普通の犬より一回り大きく気性が荒い。チベットの犬が攻撃的で危険だというのは有名らしく、こんな大型犬に本気でかかってこられたらひとたまりもない。ただ、警戒心は強いが実は人懐っこい犬たちでもある。
今日も朝早くから寺の周りをコルラ(時計回りに回るチベット独特の巡礼方法)している人たちがいるのだが、見ていると1周するごとにそろばんのような球をひとつずつ移動させている。
もうひとつの寺院、安多達倉郎木寺(キルティゴンパ)へ行ってみる。すぐそばには清真(イスラム)寺院があり、隣接する食堂で肉麺(ヤク肉と春雨のようなものと麺片)13元を注文。店内にはまるでトレッキングにでも行くかのようにリュックを背負った巡礼のチベット人女性たちが大勢食事をしていた。
窓の外には羊の大群が悠然と道路を占拠しているのが見える。
清真寺院を訪れて、寺男のような人と話して塔に登らせてもらう。この寺も典型的なイスラムの構造で、中央に広いスペースがあり、1本の木がその中に植えられている。
昨日はあまり見ることのできなかったキルティゴンパをもう一度歩いてみる。今日も巡礼たちがひたすらコルラを続けている。
広い敷地の最奥部に屋根が赤銅色の美しい寺があり、入り口には五体投地用の板が用意されている。
この寺からさらに奥へ進んだところがトレッキングコースの入り口になっていて、ここからは峡谷内を歩くことができる。沢登りのような感じでところどころ渓流に浸かりながら歩いていく。こちらへ戻ってくる中国人グループとすれ違い、ここから先は野生のヤクがいるから気をつけろと忠告される。彼らとは昨日もセルティゴンパで見かけてお互いに顔見知りであった。ほどなく彼らの言う通りヤクの大群に出くわし、向こうもこちらも驚いてしばし固まってしまった。引き返す際に地元の青年たちとすれ違い、すぐそこにヤクの大群がいるから気をつけろと話したが彼らは先へ行くという。彼らも昨夜夕食時に食堂で見かけてお互いに覚えていた顔だった。ここ郎木寺は小さい集落なので1日いると多くの人が顔見知りになる。
寺の敷地内には多くの少年僧がいて、彼らのための小学校が設けられている。シカが飼われており、いたずら盛りの子供たちが寄ってたかってシカをからかっている。嫌がったシカが小さな声で鳴いていたが、ほどほどにしないと少年たち、反撃されかねない。
寺の裏手の高台から郎木寺全体を一望できる。
夕食は宿の隣の食堂でヤク肉チャーハン30元(約450円)、ツーリスト価格だ。
アットホームな店で、日本人と聞いて店の人やら常連客やら次々に話しかけてくる。非常に気持ちのいい人たちだが、この人たちもチベット族というだけで様々な自由を制限されているかと思うとやるせない。彼らの多くは中国語が満足に読み書きできず(人によっては話すこともままならない)、仕事を得る際などあらゆる場面で不都合があるはずで、先行きの見えない閉塞状況にあるのではないか。彼らの屈託のない笑顔の裏についついそういったことを想像してしまう。この善良な人たちが幸せと自由を獲得できるよう願わずにはいられない。
この先、出来れば行きたいと考えていた四川省:色達(スルタ)のラルンガルゴンパで、外国人の立ち入りを徹底的に排除したうえで、中国当局による僧房破壊と強制移住、矯正教育(ダライラマが間違っているとの内容)が行われているとのニュースを耳にした。僧侶の数を半減させるまで作業を続けるという話である。中国政府のチベット族への徹底的な不寛容を思い、暗澹たる気持ちになる。
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