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中国西域への旅 甘粛省:郎木寺(ランムス)から四川省:松潘(スンパン)へ

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早朝、郎木寺(ランムス)の宿の前の交差点に停まる、各地へ向かうバスのけたたましいクラクションで目が覚める。どのバスも出発時刻が明確に決まっているわけではないようなので、早めにその場にいるようにしないと乗り遅れそうだ。

今日は次の目的地、黄龍・九塞溝へ向かうための中継地:松潘(スンパン)へ向かう。宿の外に出てみると、3日前に訪れた合作行きのバスだけが停まっており、運転手に尋ねてみるとこの後にそちら方面へ向かうバスが来ると言うのだが、直通バスではなさそうだ。乗り継ぎ先などもうひとつよくわからない。僧侶がひとり同じバスを待っており、言葉を交わすうちに日本人かと尋ねられる。彼はこれから 馬爾康(マルカム)へ向かうのだそうだ。

7時半ごろにバスがやってきたが乗客は我々2人のみで8時前に出発。途中で数人の客を拾っていく。中国ではバスが配送業も兼任しているようなところがあり、荷物だけが載せられたり、乗客が届け物を持って乗り込んでくることがよくある。この日も乗客の一人が途中の食堂に荷物を届け、代わりに別の大きな荷物を受け取って戻ってきた。郵便のような専門の配送サービスよりもバスなどの公共交通機関の方が、確実にその日のうちに届けられるということで信頼されているのだろう。

8時半ごろになってようやく日が高くなったが、今朝も冷え込みは厳しく、バスの窓ガラスは内側から凍ったままだ。見渡す限り若尓蓋(ゾルゲ)湿原が広がる。壁もドアも何もないトイレとタルチョ(経文が書かれた色とりどりの旗)だけがそこここに点在している。夏は一面緑の大草原が視界いっぱいに広がる景色が見られるだろうが、今は枯れ草のみの茶色い大地だ。この大平原のど真ん中で母子が乗り込んできた。父親らしき男性がバイクで二人をここまで送ってきたようで、彼らはこの平原に暮らす遊牧民なのかもしれない。

今回行くことを諦めた色達(スルタ)のラルンガルゴンパではこの3日間で600軒もの僧房の取り壊しがあったと聞いた。この実態を知られたくないが故に急遽外国人の立ち入りを全面禁止にしたのは間違いない。中国政府にとって都合の悪いこのような情報はまず報道されないので、大多数の中国人はこのような問題の存在自体を全く知らないだろう。情報統制されていることにすら気付いていない人が大半ではないか。中国人でも国内外を頻繁に旅するような人たちは色々な情報に接してこういった状況も理解している。価値ある歴史的遺産を自分たちがどれだけ破壊してしまったか、いかに自分たちが外界から隔絶した特殊な環境にあるか、と嘆く中国人に何人も出会った。ラサ在住のチベット人が外国へメール送信しただけで逮捕されたという話も耳にして暗澹たる気持ちになった。

バスで一緒になった僧侶にラルンガルゴンパ行きを断念したことを話すと、確かに今向かうのは難しいし危険だとの返事が返ってきた。断念した今回の判断は正しかったのだと無理やり自分に言い聞かせる。

若尓蓋(ゾルゲ)までは25元(約380円)。道路は結構なガタガタ道だったが2時間弱で若尓蓋汽車客送中心に到着し、10時発松潘(スンパン)行きのチケット49元(約750円)を購入。若尓蓋(ゾルゲ)には数日前に雪が降ったようで、日陰の雪が氷となって残っている。バス停の人たちが次々に「松潘(スンパン)へ行くのか?」と色々手助けしてくれる。ここから松潘(スンパン)までは240kmの道のりでこの後は14時半の最終バスしかない。

若尓蓋(ゾルゲ)を出発するも相変わらずのガタガタ道。途中、丘の斜面がタルチョで埋め尽くされた集落を通り過ぎる。バスの最前列では地元のチベット人老婆と中年男性が何時間にもわたって喋りっぱなしである。

この時期は明らかに旅行にとってはオフシーズンだが、その分旅行者も少なく、接してくる人たちも稼ごうとガツガツしていない印象を受ける。トラブルもなく穏やかに旅ができるのは良い。

若尓蓋(ゾルゲ)から3時間ほどで松潘(スンパン)到着。入れ違いで九塞溝行き13時発のバスが出て行った。既に今日のバスはほぼ全便終了しており、今日はここで一泊することになる。

客引きの誘いに乗りバスターミナル内にある松州交通賓館に泊まることにする。1泊80元(約1200円)。

町をぶらぶらと歩いてみる。2900mと久々に標高が下がったが特に体調の変化は感じられない。ここ松潘(スンパン)は城壁に囲まれた城下町で、アバ・チベット族チャン族自治州の中でも特に交易で栄えた土地だそうだ。幹線道路は車の往来が激しく、大型トラックが頻繁に猛スピードで走り抜けるのに、地元の子供たちが道路わきでボール遊びをしていたりして冷や冷やする。この道路沿いに多くの宿と食堂と土産物屋が城門までずっと続いている。干し肉、冬虫夏草、毛皮、銀器といったものが特産品らしい。町中にこれでもかと掲げられる中国国旗の列が何とも異様な感じを与える。

宿のそばの食堂で昼食。卵・トマト・ネギの炒め物に手桶に入った白米で29元(約450円)。

裏通りを歩いてみると、イスラムの門構えと日本の城下町の曲がりくねった道を合わせたような町並み。どの家もがっしりとした門に、敷地内には干したヤクの肉が大量にぶら下がっている。ムスリムの人々もあちこちで目にする。これまでの中国の町でもそうだったが、ここでも掃き掃除をしている人をそこらじゅうで見かけ、道にごみが溜まっているような事はない。

城門へ近づくほどに中国人観光客の数が増えてくる。ここはどうやら人気の観光地であるらしい。城門に囲まれたエリアには無数の店が立ち並び、非常に観光地化が進んだ町という印象である。東・南・北に城門があるが、なぜ西にないのだろうと思っていると、西側にそびえる小高い丘の頂上に門らしきものが見える。人ごみを避けてそこへ登ってみることにする。

少々急な上り坂で、この斜面は土砂崩れの危険が高い場所らしく、その旨があちこちに表示されている。

3153mの標高にある西門:威遠門までようやくたどり着く。標高が3000mを越えているのでそれほど楽な道のりではなかった。威風堂々とした門構えである。ここから下界を眺めると屋根がすべて瓦で出来ていることはこれまでの町との違いである。西門だけがなぜこんな高い場所に造られたかはおそらく西の山側からの奇襲を防ぐためという戦略的な理由が大きかったのだろう。

西門からさらに先の裏山まで道は続いており、そちらへ歩を進めてみる。道はずっと先まで延々と続いており、家々が点々と軒を連ねている。頂門西と書かれた展望の良い場所から眺めると、ここは東西を山に挟まれた、川沿いの細い谷間に作られた町なのだとわかる。威遠門が夕日に映える。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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