中国西域への旅 新疆ウイグル自治区 カラコル湖からタシュクルガンへ
中国とパキスタン・タジキスタンとの国境に近いカラコル湖で朝を迎える。ホームステイしたキルギス族ウィ村のカパルェリさんのお宅で寒い朝を迎える。標高3650mですぐそばが大きな湖という、寒い朝を迎えるにこれ以上の条件はないような土地だ。搾りたてのヤクミルクとパンの質素は朝食をいただく。正直なところヤクミルクはかなり癖が強く、あまり好きではない。
カパルェリさんは昼頃に湖へ出勤(天然石などを観光客相手に売っている)するそうで、それまでこのウィ村の周辺を散歩することにする。とにかく風が強く猛烈な寒さである。ムスターグアタ(標高7546m)に少しでも近づこうと山の目の前の丘を登ってみる。4000m近くまで標高を上げてみても全然山が近づいた実感がない。
茶色い山肌にようやく朝日が当たり始めた。巨大な山のそばにある集落のため村にはなかなか日が届かず、昼前になってようやく山の陰から太陽が顔をのぞかせたかと思いきや、すぐに別の山の影に入ってしまう。丘の上から見ると遠く湖まで遮るもののない茶色い大地が続いている。
少し歩くと隣の村(集落)にたどりつく。こちらの村の方がはるかに規模が大きい。ここもキルギス族の村なのだそうだ。
これはトイレ。真冬にこのトイレを使うのは覚悟が必要だ。
暖かくなってきて徐々に村人の姿を見かけるようになった。通りすがりのおばちゃんがさかんに何か話しかけてくれるのだが全く分からない。バイクの親子連れは後ろに乗っていくよう勧めてくれた。こんなところを歩いているだけで普通ではないことなのだろう。
羊飼いが放牧に向かう姿も見ることができた。こうして毎日夕方まで羊を追うのだろう。
もちろんヤクの姿もそこらじゅうで目にする。
こちらはカパルェリさんの家で飼っているヤク。寒風吹きすさぶ中、奥さんが朝早くから乳搾りをしている。
昼過ぎ、カパルェリさんに再度カラコル湖まで乗せてもらう。宿泊費用に20元加えて合計100元(約1500円)支払う条件で、湖畔のユルタ(遊牧民用テント式住居)を夕方まで使わせてもらう。
今日は昨日より天気が良いが何しろ寒い。昨日は若干高山病の症状が出て息苦しかったが、こちらについては1日でうまく順応できたようだ。昨日より日が出ている時間が長く、湖面は穏やかで波が美しい。水辺に沿って歩いているつもりがいつの間にか凍った水草の上を歩いていた。天気の良い今日の方がやはり湖面は変化に富んで美しい。
午後になって雲が晴れ、ムスターグアタの雄姿を拝むことができた。
ムスターグアタと並び立つコングール山(標高7649m)もその雄大な姿を見せてくれた。
今日はタシュクルガンの町までバスで向かうつもりだ。昨日バスを降りた16時頃にまたここをバスが通りかかるだろうと見越して、湖岸の道路でバスを待つことにする。ほどなく通りかかった車からタシュクルガンまで送って行ってやるとの話が出る。100元を70元(約1050円)に値切って交渉成立。バスと比べるとずいぶん割高だが、正直なところ寒さの中で長時間待ちたくなかった。他に同乗者が2人おり、彼らは途中の役所のようなところで降りて行った。運転手曰く、彼らは自分が日本人だと説明しても日本という国そのものがわからなかった、彼らは教育を受けていないから、と言っていたが本当だろうか。カシュガルの宿で一緒になった中国人の多くが隣国キルギスの存在自体を知らなかったのには驚いたが、さすがに日本のことは知っていそうなものだが。
ここでも政府からのお達しがあるのだろう、異常な低速運転を続ける区間があったりしてなかなか目的地に到着しない。中国共産党のスローガンが大書された看板を至る所で目にする。「民族団結が国家の利益につながる」のようなメッセージがやたら多い。
この道中もまた絶景の連続である。
タシュクルガンの町が近づくと街並みや道路が急に整ってきた。道路の両脇には延々と中国国旗がはるかかなたまで掲げられている。ここは中国の領土であるとの国家の強い意思表示を感じる。タシュクルガンの町に着いてみると予想外に大きな町であることに驚かされた。国境の町ということでうら寂しい街並みを予想していたのだが、政府主導で造られた人工的な町という感じ。町なかには兵士がやたら多く、兵士専用のホテルがたくさんあるのは国境地帯ならではだろう。沖縄の与那国島を思い出す。
安宿を探すもどこもなかなか強気の料金設定(中国人観光客が平気で支払うからだろう)で、さんざん探したが138元(約2000円)の宿:鴻運国際賓館で妥協せざるを得なかった。漢民族の経営するホテルで地元タジク族が下働きをするという構図がここにも適用されている。
標高が3100mまで下がったこともあり呼吸が楽になったと感じる。ここは温泉が湧く場所でもあるらしく「●●温泉酒店」のような名称のホテルをよく見かける。中国では「酒店」「賓館」「招待所」などはすべて宿を表している。
宿近くのウイグル料理屋で夕食を食べようとするも、米飯がメニューにない。ウイグル料理は麺類が主体のことが多く、米が食べられないことも珍しくない。日本人としては何とも物足りない。周りの客にも助けてもらって何とか青菜拉面と烤肉1本を注文。
チュートリアル徳井似の店員が荒々しく注文を厨房に通し、ケンドーコバヤシ似の男が店内をうろうろし、サッカー日本代表長谷部似の男が遠く離れた席からこちらを窺っている。何国人であってもついつい見慣れた日本人の顔で分類してしまうのが癖になっている。ここタシュクルガンはタジク族の町というだけあって、独特のタジク帽をかぶった女性が圧倒的に多い。顔立ちもより欧風で目の色も薄い。我々が普段イメージする中国人とはまったくかけ離れた風貌である。中国人というより、これまで旅してきた中央アジアの人々の方に明らかに近いのだが、ひとつ決定的に異なるのがここの人たちは(当然ながら)箸の扱いがきわめて上手なこと。
隣の席にいる注文を手伝ってくれた男たちはこちらのことが相当気になるようだったので、「JAPAN」と何度となく言ってみたが全く通じない。食べ終わった皿に「日本」と書いてみたところ通じた様子。
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単に外国人が珍しかったのか、日本人が歓迎されているのかはわからないが、店中から好意的な雰囲気はひしひしと感じられた。店を出ると隣のウイグル料理屋がうちでも食って行けという。もう腹いっぱいだと断ると「喉から食ったものが出てくるまで食うんだよ!」と無茶なことを言ってくる。
国境の町という言葉から自分が勝手に抱いていた先入観がことごとく打ち砕かれる。何となく悲壮感漂う町のような勝手な想像をしていたのだが、そこに住む人たちのたくましい日常が日々営まれる、ごくごく当たり前の町だった。旅人のロマン、旅情のようなものは、人々の地に足の着いた「暮らし」の前でははかないものである。
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