中央アジア:ウズベキスタン旅行 ブハラ観光1日目
中央アジア:ウズベキスタンで、観光地としてサマルカンドに次いで人気が高いと思われるブハラで初めての朝を迎える。旧市街地全体が世界遺産に指定されている町である。宿泊先のMalikjon Guesthouseで朝食。建物は正方形の敷地の四辺に沿って建てられており、石畳の中庭に置かれたテーブルで食事する。
昨日同じタイミングで客引きに乗ったオランダ在住イギリス人と相席で朝食。特に早い時間帯でもないのに我々2人しかいない。彼は根っからの旅行好きで、1987年の初めての海外旅行以来毎年休暇を取ってどこかに出かけているそうだ。アフリカ縦断ヒッチハイクを夫婦で1年かけてやったこともあり、ナイジェリアに行ったときは非常に多くの地元の人が観光客で金持ちの自分たちを狙っているのがわかり非常に怖かったという。イギリス人だがオランダにもう30年住んでいるとのことで、ちょうど行こうと思っているオランダの情報を色々教えてもらった。
朝食後、まず宿の周りをぶらっと歩いてみる。シナゴーグ(ユダヤ教の集会所)がすぐそばにあり、イスラムとユダヤの共存が少し意外な感じがする。
本格的なブハラ観光の開始。観光の拠点となるのはラビハウスと呼ばれる池で、宿やレストランもこの周囲に集中している。ここから適当な方向に歩き始めてみる。まず最初にウルグベック・マドラサが見えてきた。
次いで、大きなミナレットを伴ったミル・アラブ・メドレセを訪れる。内部はまるで庭園のような美しさだ。広い何もない空間の真ん中に木が1本植えられている。この旅の間、同じような構成の建築物を幾度となく目にした。ただ単に酷暑(真夏は40度に達する)を避けるための木陰を作る目的だったのかもしれないが、美的にも良い効果を生んでいるように思える。何もない空間に木がただ一本というのは東洋的な感じがしないでもない。
「神は細部に宿る」という言葉があるが、ここも例に漏れず至る所に精緻な装飾がこれでもかと施されている。
せっかくなので広い中庭に植えられた1本の木の陰で休んでいると、サマルカンドから来たという女性陣に取り囲まれる。日本人というのがよほど珍しかったのか、記念写真を撮りまくられ、ガイドも加わってもみくちゃにされる。なぜか全員の写真にサインをさせられ、代わりにこちらの持っていたメモ帳に全員の名前をサインしてくれた。ここで、イスラム教独特の祈りの仕草を初めて教えてもらう。顔の前で両手で水をすくうような手つきをして、その水で顔を洗う仕草をし、また最初の位置に両手を戻すというものだ。今までもそれとなく見かけたことはあったのだが、これが祈りの動作の一つでごちそうさまやいただきますの祈りとしても使うらしい。
他の団体観光客にガイドがついていたのでその話を盗み聞きする。このモスクのドーム真下の地下に広い空間がある、ここは今も現役のメドレセで、毎週金曜にイマームが普段は開けられることのないドアの奥へ入っていく、等々と言っていたように思う。またガイド曰く、メドレセの建築者は高く評価され、その名が建物正面のプレートに掲げられるそうで、聖職者よりも高い栄誉が与えられるのだという。
向かいにあるメドレセもまた現役のようで、学生らしき若者が出入りする姿が見られる。彼らは年長者に会うとアッサラームとあいさつしている。ガイドいわくここはかつてはゾロアスター(火を崇める拝火教)寺院だったとか。
ここブハラでは、サマルカンドほどど派手な色使いの服装の女性は少ない。こちらが本来のイスラムの姿なのかもしれない。
ブハラは町そのものが宗教施設の集合体なので、少し歩いているとまた別の建築物に行き当たる。広い石畳の広場と巨大な城壁が見えてきた。古代の城壁をおそらく一部(もしくは大部分)復元したものだろう。観光客用にラクダも用意されている。
しばらく行くと木の細長い柱が印象的なバラ・ハウズ・モスクがあり、学生らしき若者が数人池の近くで談笑している。小学校帰りと思われる子供たちの姿も見える。女の子は白いリボンが定番のようで至る所で目にした。
ここは地元の人々が日常的に礼拝している場所のようで、電光掲示板にその日の5回の礼拝時時刻が表示されている。相次いで男性が大慌てでモスクに駆け込んでくる。見ると電光掲示板の礼拝時刻を少し過ぎている。
他にも名前のわからない多数の建築物が多数あり、ブハラは狭い範囲にそれらが密集した箱庭のような町だ。
ブハラではこれらの歴史的遺産を単に飾り物として扱うのではなく、現代の日常の生活の中にそれを取り入れている。実際、これらの建築物をそのまま売店などとして今も活用している。古い建物を過去の遺物として扱うのでなく、遺跡とともに生きているという印象を強く受ける。有名観光地で暮らすというのはどういう感じだろうとよく思うのだが、ここでは違和感なく両者が溶け合っている。
ウズベキスタン独特のデザインの皿やナイフ、民族楽器などなど多様なものが売られている。民族模様のバッグがなかなか派手なのだが、民族衣装を着た人が持つとフィットする。
昼食に飲んだ地元産ビール:puЖckoe(リースキー)が美味くてついつい昼間から1リットル飲んでしまった。海外で飲んだビールとしてはチベットのラサで飲んだラサビールと並んで最も美味なビールだった。あまりに美味かったので国産かと店員たちに尋ねたのだが、彼らはふだんビールなど飲まないのだろう、聞いてもわからず奥にわざわざ確認しに行ってくれた。プロフ(中央アジア風炊き込みご飯)、肉細切れサラダ、ビールどれもうまいと店員に絶賛するが、そこまで褒められるのがうれしくもあるが意外だというような反応だった。
日本語を話せる地元の女の子が「ガイド要らない?」と聞いてくる。日本人観光客はかなり少ないはずなので需要は少ないのではないだろうか。好きなように観光したかったので断ったが、その後も彼女は客を捕まえることができたようではなかった。
町には髪を短く買った女の子(小学校入学前ぐらい)が多い。ショートカットというよりは丸刈り、角刈りに近い長さの髪の毛である。これも何か宗教的な理由があってのことなのだろうかと考える。それほど短髪ではないこの女の子はよほど外国人が珍しかったらしく、母親に連れられて行きながらもずっとこちらを振り返って手を振っていた。
日が落ち始め、夕陽が石の壁を柔らかい色に染める。
夜になり、地元の男性に声をかけられる。彼の家が食堂を経営しているのでそこで夕食を食べないかという誘いだったのだが、ちょうどどこで夕食を食べようか思案していたところだったのでついOKしてしまった。彼について行くと食堂というより彼の自宅そのもので、一室に招き入れられた。ちょっと嫌な感じがしたので何か口実をつけて帰ろうかと考えたが、部屋には2匹の子猫がいてこれは引き留めるにはなかなかうまい手だなと感心してしまった。
娘さんが作るウズベキスタンの一般家庭料理というものを食べることになった。軽めの夕食にしたいと思っていたのでちょうど手頃な(重くない)食事で良かった。パン、野菜の煮込み(これは美味かった)、果物といったものが出された。久々に濃くない料理を食べてほっとする。
娘さんは刺繡工場で働いているそうで、彼女の作ったポーチなどを買わないかという話になり、目の前にずらっと並べられる。そういうことだったかと内心思うが、購入意思はなかったので丁重に断ったところやはり気まずい雰囲気になり早々に退散する。別の日にも彼が広場で観光客に声をかけているのを見たので、おそらくこれが彼らの日課なのだろう。勧められたものをすべて断ったのは少々申し訳ない気もしたがやむを得ない。
夜のラビハウス周辺。ライトアップされていてかなり遅い時間まで観光客と地元の人が出歩いている。
イスラム教では偶像崇拝が禁じられているので、このような具体的な対象物がはっきりと描かれたものは珍しいそうだ。
今夜も薄暗い通りを歩いて宿へ戻る。何しろラビハウスから宿まで近い(徒歩1分)ので楽だ。ラビハウス周辺からはまだ人々が話し、笑う声が聞こえてくる。
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