スリランカ旅行 キャンディ(Kandy)からアダムスピーク(スリパーダ)へ
2月12日(日)
スリランカ中部キャンディ(Kandy)から聖なる山と呼ばれるアダムスピーク(スリパーダ)へ向かう。宿に荷物を置かせてもらい、2日後にここへ戻ってくる約束で出かける。
キャンディ駅11:10発Badulla行きの列車110ルピー(約80円)でハットン(Hatton)まで行く。駅窓口の係員は次の列車まで2時間以上待つ必要があると言っていたが、疑って自分で聞いて回ったおかげですぐに目的の列車を見つけることが出来た。列車を待っている別の乗客から、自分の2等車チケットと彼の持っている1等車チケットを交換してくれないかと持ちかけられる。彼の仲間がみな2等車なので自分も移りたいとの事で良い話だったのだが、残念ながら行き先違いで断念。
定刻より20分ほど遅れて出発し2時間半ほどでハットンに到着。こんなに早く到着するとは思っておらず、あやうく乗り過ごすところだった。やけに人がたくさん降りると思って見ていたのだが、それなりに大きな駅(駅舎は小さいが)のようだ。駅を出て目の前に停まっていたバス70ルピー(約50円)に乗り、1時間ほどでナラタニヤ(Nallathanniya)という村に到着する。
山奥の小さな集落でありながら、聖なる山:アダムスピークに登ろうという巡礼者でごった返す一大観光地といった趣きだ。宿を探すがなかなか安宿らしきものが見つからない。結局客引きの誘いに乗る。
本日の宿:Vegetable Garden House、1泊2000ルピー(約1400円)、夕食600ルピー(約420円)、朝食400ルピー(約280円)。
夕食は19時からとの事でそれまで周囲をぶらぶら散歩する。坂を下りきって隣の集落へ歩いていってみると、ここは観光とは無関係の村のようで、行き交う人々も商売っ気がなくくつろげる。日曜ということもあって近くの沢には多くの車が停まっており、日帰りピクニックの人たちがそろそろ帰り支度を始めている。薄暗くなってから巡礼者を乗せたバスが続々と山道を登ってくる。おそらく彼らは宿泊せず、夜通し登ってご来光を拝む巡礼たちなのだろう。
宿へ戻って夕食。ゴールで訪れた日本山妙法寺がここアダムスピークにもあるそうで、そこの日本人住職:高島上人がこの宿を時々訪れるという話になり、自分もゴールで浅見上人とお会いしたと言うとおかみさんが興奮して自分の兄弟やら2人の上人に次々に電話をかけ始め、しまいには電話を代わらされる。
今日の同宿者はアダムスピークに登ってきたばかりというフランス人男性と三重県在住の日本人男性、ロシア人カップル。日本人と同宿になるのは何ヶ月ぶりだろうか。久々に日本語で話し込む。彼は1週間前にもここに来てご来光にトライしたが、あまりの混雑で頂上までたどり着けず今回が2回目の挑戦との事。仮眠を取って今晩再挑戦するのだそうだ。山のほうを見ると既に光の列が頂上のひときわ明るい堂まで続いている。どうやら今日も大混雑なのだろう。夏の富士山を連想する。宿が今日は満室なので、家族は寝る場所がなく居間で雑魚寝となるようで既に寝息を立てている。
2月13日(月)
鳥のさえずりで目が覚める。のどかな村の朝だ。9時頃アダムスピーク登頂に向けて出発。ご来光にはこだわらないので人の少ない日中の時間帯に登る。降りてくる人が大半でこの時間に登る人は数えるほどしかいない。
大きな門をくぐり、川を渡ってすぐ分岐道にさしかかる。どちらへ行けばいいのかと思っていたところ、近くにいた男性から日本人なら左側の道を行くようにと階段のある道を指差されそれに従う。日本人=仏教徒だから左側なのかと聞くとそうだと言う。明らかにスリランカ人と思われる人が右側の道を行っていたが、そうすると彼らはヒンズー教徒なのか。
途中、同宿の日本人男性が下山してくるのに出会い立ち話。先週来たときの数分の一の人出だったそうだ。そこから歩いてすぐのところに日本山妙法寺があり立ち寄ってみる。高島上人はスリランカの別の寺に出かけていて不在とのことで、寺守りの男性がカギを開けて堂の中へ入らせてくれる。昼食までごちそうになってしまう。
ここから頂上までは何千段もの階段が続く。地元の巡礼者の団体が掛け声をかけながら長丁場を登っている。ひとりが掛け声をかけ、残りのメンバーがそれに続いて唱和する。ネパール人か?と聞かれ日本人と答えると、掛け声の中に「ジャパニ」という言葉を入れて唱和し始めた。登る人も下りる人も高齢者がかなり多く、彼らにはこの上り下りは相当に辛いだろうと思う。道中、所々で猛烈な生ごみの臭いが充満しているのにも閉口した。
途中、スリランカ人僧侶の求めに応じて100ルピー(約70円)を寄付し、ミサンガのような紐を手首に巻かれ、額にオレンジ色のティカ(インド人がよく額に赤い丸をつけている、あれである)をつけてくれる。
上がるにつれて急になる階段を登り終え、ようやく2243mの頂上へたどり着く。ナラタニヤの村が標高1300m弱なので900m以上も階段を登ってきたことになる。途中寄り道が多かったので14時になってしまった。登っているときは汗だくだったが頂上へ着くと肌寒いぐらいだ。昨夜、麓から見えていた景色から想像していたものよりはずっと小さな、狭い頂上の社である。ここも白服の参拝者が多い。靴と帽子は脱がなければならない。山の反対側から急速に雲が出てきた。僧侶に話しかけられ、今夜はここは完全に雲に包まれるだろうとの事。ここに泊まっている人も少なくないそうで、お前も昼食を食べていかないかとお誘いをいただくも、先ほど食べたばかりだったので辞退する。
オレンジ色の袈裟を着た僧侶数名と白服の参拝者数十人が石畳の広場に座り、おつとめが始まった。僧の読経に続いてみなが唱和する。当然のように彼らは経文を知っているようだ。座る姿勢は正座ではなくあぐらである。座っているだけだが自分もそこに参加させてもらう。日本で仏事に参加したときの空々しい感じとは違い、何とも荘厳で、それでいて決して重くはない良い雰囲気が充満する時間だった。動画や音声をかなり録らせてもらったのだが、その後機材トラブルですべて消えてしまったのがかえすがえすも残念だ。
全く同じときにすぐそばの祭壇ではシーク教徒らしき人が別のお経を唱えている。別の場所では参拝者が好き勝手なタイミングで鐘を打ち鳴らしている。読経中の僧侶の目の前をみな平気で横切っている。読経の席から途中退席する人もいれば、ふらっと来て何となく参加していく人もいる。堅苦しくないゆるい感じが心地よい。おつとめが終わるとひとりずつ僧侶の足元にひざまづいて挨拶をしていく。
先ほどの僧侶からどうだったかと聞かれ、日本の経とは違っているがチャントが歌のように聞こえるのは似ていると答えると、両者ともマントラ(真言)だからと言われる。このパゴダの落成式には当時のスリランカ首相が参列したそうで、それぐらい手厚く保護されているのであればこの国の仏教は安泰だろう。礼を言って天気が荒れる前に下山を開始する。
下りも寄り道を繰り返してゆっくり歩く。途中、頂上で一緒だった僧侶と参拝者たちに追い抜かれ、彼らからお菓子(仏事の後に配られるもの)のおすそわけをもらう。登るときと同様、こちらを外国人と見た地元の参拝客から度々声をかけられる。
立ち寄った茶店のおばあさんが自分が日本人だと知って日本山妙法寺の高島上人を激賞する。他のサドゥー(ヒンズー教の行者)のように金、金と言わないし、70歳を過ぎた今でも毎朝アダムスピークまで太鼓を叩きながら猛スピードで登っているのだという。彼が経を唱えると人だけでなく、犬や猫までじっと耳を傾けているんだという話が面白かった。自分の写真を撮れと言い、次回この写真を持ってもう一度ここを訪ねてくれと言う。
帰りにも少しだけ日本山妙法寺に立ち寄りチャイ(スパイス入りミルクティー)をごちそうになる。高い位置からチャイを注ぐことを3回繰り返す。ミルクとよく混ぜ合わせるためだという。日本に行きたいというスリランカ人僧侶(この寺とは無関係)からスポンサーになってくれと執拗に食い下がられる。寺守りから「友達でもないのにそんなことを頼んでくるのは間違っているから気をつけろ」と至極真っ当な忠告をもらう。
宿に戻ってアダムスピークを見上げてみる。今夜も巡礼たちの光の帯が頂上まで途切れることなく続いている。
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