エベレスト街道単独トレッキング27日目:ルクラ
ベンカー(Benkar:2630m)で迎える朝。昨日までとは比較にならないほど暖かい。山の中ではなく森の中におり湿度も適度にあるようで、高山地帯から出たと強く実感する。夜中は雲が出ていたようだが明け方には満天の星空となっていた。まだ暗いうちからポーターやヤク追いが行き交っている。集落に陽が差してきたのは8:30と何とも遅い夜明けだった。7時に階下へ行くとすぐにフランス人4人組も下りてきて、宿のおばあさんが香を焚いてくれる中で朝食。
今日も日本人団体客と大勢すれ違う。もしこの時期に来ていたらどこも泊まるところがなかっただろうと思いぞっとする。今日はルクラ(Lukla:2800m)へ向けてトレッキングの最終行程。途中のTokTokでIncense Pillowという香のかおりのする枕を売っていたが意外に買う人が多いかもしれない。Rimjung、Rangdingと通過し、初日に宿泊したパクディン(Phakding:2652m)まであっという間に到着。昨日に続き、先行するロバ、ヤク、馬の一群が遅々として進まず大渋滞になる。Ghat、Thadokoshiと通り過ぎChheplungで、地域のシンボル:クンビラ(Khumbi La:5673m)とナムチェの丘が最後にもう一度だけ姿を現わす。これで本当にヒマラヤとお別れである。
鼻の穴に蓋のような飾りをつけたおばあさんを見かける。インド東部少数民族の風習として伝わるノーズプラグだと思うが、ここネパールで見るとは思わなかった。
ここからルクラまでの登りが思いのほかきつかった。これまで高所で約1ヶ月歩いてきた成果がこれかと情けなくなる。結局3時間半近くかかってようやくルクラへ到着。初日に航空券を預けておいたベースキャンプロッジ:Base Camp Lodge(1泊300ルピー)に向かう。部屋にコンセントがあり充電の心配をしなくて済むのがうれしい(ここより上はすべて充電もシャワーも有料である)。気温が低いと目に見えてバッテリーの持ちが悪くなるのでいつもヒヤヒヤしていたのだ。
隣接するSita Airのオフィスへ復路便のリコンファームしに行く。大手航空会社ではあまりないが、こういう小さな所ではチケットを予約してあっても復路便の3日前以内ぐらいにはこの作業をしなければならない。何とオフィスの営業時間が15時から16時の1時間だけとのこと。知らずに16時以降に着いていたら大変だった。オフィスは何の前触れもなく突然14時半頃に開き、リコンファーム自体は1分で終了。明朝5:45空港集合とのこと。
空港ではヘリコプターがひっきりなしに離発着を繰り返している。陸路で物資輸送ができないここでは、ヘリコプターは命綱なのだ。1機の駐機時間はおそらく10分未満。手早く燃料を補給し、積荷の入れ替えを行い、操縦士はチャイを持ってきてもらってその場で飲んですぐ出発する。空港の隅の方に数年前に着陸に失敗した飛行機の残骸が残されたままになっている。これを見ながら飛行機に乗って離陸するのはあまり気持ちのいいものではない。
滑走路が極めて短いため、離陸時には坂を下る勢いを利用して速度を上げる。着陸時には坂を登ることで何とか減速する。滑走路の先は谷底なので失敗は許されない。今回のトレッキングで最大の不安要因はこれだったかもしれない。
ルクラは店の数も段違いに多く、スタバまであり他の集落と比べれば大都会である。宿で昼夜と食事したが、やはり山の中の食事とは段違いに美味かった。夕食には、トレックの最後に食べようと決めていたヤクステーキ650ルピー(こちらではとんでもない値段である)と山に入ってから初めてのビールを注文。ステーキの味そのものはよかったが、肉自体はどれだけ噛んでも噛み切れるようなものではなく結局飲み込むことになった。
ネット接続できるようになりニュースを見て初めて長野県で大地震が起きたことを知る。慌てて長野の友人に連絡するも幸い被害はなかったとのことでひと安心。アンナプルナでの事故の時は逆にこちらが安否確認の連絡をもらう側だったのだが、いずれの場合もただただ幸運に感謝である。
天気予報を見ると夜になってから外気温マイナス13度とのことだったが、そこまで寒いとは感じない。身体がこの環境に慣れたのか。明日は宿が寝静まっているうちに出発するので玄関の鍵を開けておいてくれるようお願いし早めに就寝。
LEAVE A REPLY