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中国西域への旅 四川省:亜青(ヤーチン) アチェンガルゴンパ

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四川省亜青(ヤーチン)にあるアチェンガルゴンパで初めての朝を迎える。標高が4000m近いこともあって朝の冷え込みは強烈だ。部屋の窓ガラスも内側から凍っている。今朝の気温はマイナス20度だったらしい。極寒地用のフル装備で外に出かける。朝の光でチベットの広大な台地が美しく染まっていく。

僧房がひしめく島を見下ろすように小高い丘があり、この上には金色の巨大な像(ニンマ派の開祖蓮華生大師の像)が鎮座している。この丘の斜面には一人用の小さな房がいくつも建てられている。この簡素な造りでは昨夜の寒さは耐えがたいものだったはずで、どの房にもびっしりと霜がおりている。

この丘を登ってみると、宿で一緒になったタイ人旅行者が既にカメラを構えている。彼はおそらく夜明け前には既にここに来ていたようで、撮影に余念がない。邪魔しないよう少し離れた場所から集落全体を眺めてみる。上から見ると僧房のひしめく島にはいくつかの大通りが作られていることがわかる。ここから見るとこの島自体が曼荼羅(マンダラ)図のように思えてくる。

ここだけではなく離れた場所にも点々と房が作られている。わずか1.5m四方の小さな箱の中で暮らし、朝から祈り、修行するという毎日。1日程度なら体験してみたい気持ちはあるがこれが5年10年となるとどうか。自分が彼らと同じような毎日を送ることはちょっと想像できない。

ようやく朝日が当たり始めておのおの房の前面の布を開けて、日光をいっぱいに浴びて朝の支度をしたり読経をしたり。方々から聞こえる詠唱が何とも心地よく響く。房の前に靴が揃えて置いてあり、ふと見ると明らかに若い女の子のかわいらしい靴だったりしてそのギャップが面白い。房を覆う布のセンスも女の子っぽい。

山から遠い場所から日が当たり始め、9時頃になってようやく集落全体に陽光が行き渡る。島を取り囲む川には溶け出した氷の破片が無数に漂っている。

ふと自分の手を見ると手袋の先が凍っている。太陽が出てもなお気温はかなり低いままのようだ。四姑娘山で買ったニット帽と九寨溝で買った手袋が活躍する。それでも寒さで耳たぶが猛烈に痛い。2人の若い尼僧が三脚とカメラを持って登ってきた。ずいぶん本格的なカメラを持参していて意外に感じる。

近くの食堂で朝食、麺片12元(約180円)。居合わせた地元男性が頭は痛くないかと聞いてくるが、今のところ高山病の症状は出ていないようでゆっくり行動すれば問題ない。

宿に戻ってみると僧侶が何人もいて彼らもここに泊まっていたのかもしれない。ここで腰を据えて長期にわたって修行する僧もいれば、遠方から短期間だけ来る僧もいたりと色々なのだろう。

すぐ近くに、集落を見下ろすように緑に覆われた小山があり、山の斜面には梵語(サンスクリット語)で経文と思われる一文が書かれている。

この小山の隣にある丘に登れるという話を聞いたので行ってみる。梵語が書かれた山は明らかに聖なる場所なので、そこからできるだけ離れたところへ向かってみる。丘の麓、集落の中でも一番高い場所に住む一家にここは登ってもいいものなのか聞いてみたところ、問題ないとの事。登り始めると下から大声で右回りのルートを行けと教えてくれる。けもの道のような踏み跡はあるのだがどうもこのルートでは登れそうになく、結局急斜面を直行して頂上へ向かう。そこらじゅうでキツネやワシの姿を見ることが出来る。

見下ろすと怖いぐらいの急斜面を1時間弱登って標高4200mあたりにたどり着いた。風が非常に冷たい。アチェンガルゴンパと僧房を含む全景を見て、改めてその規模の大きさを思い知る。広大なチベットの台地に忽然と現れる赤い島のように見える。ゴンパのスピーカーからは一日中詠唱が流されているが、コルトレーンの「至上の愛」に聞こえる一瞬があった。

降りるのが怖いような急斜面を恐る恐る下る。道を教えてくれた家族にあいさつしていく。子供たちはいったいこの外国人は何だという表情。

昼の行が終わったという合図なのか、スピーカーからの詠唱が止むと堂から僧侶が一斉に出てきて売店に殺到する。売店では主に仏具などを売っているが駄菓子なども扱っている。一昨日、甘孜で乗り合いタクシーを一緒に待った若い僧侶と再会し挨拶を交わす。お互いに何か言いたいのに言葉が全く通じない悲しさ、笑顔をかわすだけで終わってしまう。

昼食、トマト卵かけ飯15元(約230円)。

集落全体をぐるっと一周してみる。同じルートを歩いている人が何人もいて、彼らにとってはこれは毎日行うコルラ(時計回りに回る巡礼方法)なのだろう。

日没前、再び丘に登ってみる。昨日と同じように僧房には夕食の支度をする白い煙がたなびいている。今朝チベットの大地に昇った太陽が山の向こうに沈もうとしている。彼らにとってはこれまで何度となく繰り返されてきた、明日からもずっと続く当たり前の光景だが、旅人の自分にとっては特別な景色だ。

チベットの広大な大地に築かれた、いわば生きた曼荼羅(マンダラ)を見ているようなもので、自分は今なんと不思議な光景を目の当たりにしているのだろうと思う。出会った僧侶にこの島自体がマンダラのようだと言うと彼も頷いていた。

午後7時を過ぎてもなかなか僧房には灯りがともらない。集落の中では懐中電灯を持って歩き回る人が何人もいる。彼らはこの暗闇の中で夕食をとるのだろうか。足元の1.5m四方の小さな房には灯りのともっているものはひとつもない。

食堂で夕食。僧侶2人が食事していてにっこりあいさつしてくれる。日本人と聞いて店の女の子が興味を持ったようで色々話しかけてくる。入れ替わり立ち替わり入ってくる客はみな若い僧侶で、見慣れない外国人客にも好意的である。居心地の良い空間だった。

宿に戻ると今日は同室者あり。家族で巡礼に来た青年で、部屋でも読経をし、額を地面につけて礼拝をし、寝る前にも敬虔な祈りを捧げている。服を脱いで(彼はこの寒さでもシャツ1枚で寝る)布団に入ってもまだお経を唱えている。こういう人のそばにいると自分が本当に場違いな人間のように感じてしまう。彼の読経は、今朝僧房で聞いた音楽的な詠唱ではなく、経文を息の続く限りひたすら唱えるというものだった。今夜も猛烈に寒くなるだろう。

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