中国西域への旅 四川省:甘孜(カンゼ)から亜青(ヤーチン)へ アチェンガルゴンパ
昨日は乗り合いタクシーの乗客が集まらず断念した亜青(ヤーチン)行きに再度トライする。昨日と同じタクシースタンドで亜青行きの車を探していると、チベット人僧侶が手伝ってくれる。外国人が亜青のアチェンガルゴンパへ行きたがっているということで、仏門に帰依する人間として助けてくれたのかもしれない。感謝。1時間半ほどで高齢のチベット人男性3人、女性2人が集まり9時前に無事出発。
亜青への道のりは途中標高約4800mの峠越えがある。出発後すぐ山道に入り、ガタガタ道をひたすら登る。ところどころ路面が凍結していて、心もとないガードレールの先は断崖絶壁だ。絶景の連続だが揺れがひどくて写真を撮るどころではない。
さすがチベット人、寒さには強いようでこの寒さの中でも車の窓を全開にする。幸いこの日は極寒地用のダウンジャケットを着ていたので良かったが、彼らは薄着にもかかわらず平気な顔である。上半身は寒くないが足先が耐えられないほどに冷たくなってくる。隣席の男性は会話していないときはずっとチベット人特有の唸るような低い声で経文らしきものを唱えている。喋り始めても会話とお経が間断なく入れ替わる。女性陣はひどい車酔い。
峠を越えると目の前に大平原が見えてくる。峠を下ったここでも標高は4500mほどあり、すべての流れが凍りついており生き物の気配すらない。時折差し込む日差しが本当にありがたい。太陽がなければ生きていけないことを痛いほどに思い知る。この感覚が宗教心の入り口なのだろうかとぼんやり考える。
峠を過ぎるまではものすごい悪路だったが、それを過ぎると思いのほか道路が舗装されていてスムーズに走ることが出来る。こんな辺鄙なところまでも電線が延々と引かれていることにいつもながら感心する。
途中、20世帯ぐらいの白玉集落を通り過ぎてからほどなく大きな門が見えてきた。これをくぐると亜青だ。結局3時間弱で到着したが、天候次第では所要時間はもっと長くなっていただろう。立派な寺に無数の僧房、初めて目にする光景である。峠からかなり下ってきたとはいえ、ここも標高は4000m近いので意識してゆっくり行動する。
ちょうど昼食の時間帯とあって、無数にある僧房から白い煙が立ち上っている。おそらく食事の支度をしているのだろう。
宿探しで苦労する。もともと観光客を想定している場所ではないので、なかなか受け入れてもらえるところが見つからない。途中の店で若い尼僧に宿のありそうな場所を教えてもらったりして、歩き回った末にやっと吉祥上選賓館で受け入れてもらえることになる。2名ドミトリーで1泊40元(約600円)。シャワーなし、トイレも流れないが文句は言っていられない。この周辺にあと2軒ほど宿があるが営業している様子がない。
宿に荷物を置いて出歩いてみる。そこら中にバラックやテントが無数に立ち並んでいる。バラックのひとつひとつは全く不揃いだが、全体として見ると妙な統一感が感じられる。行ったことはないが、ニューヨークなどもひとつひとつのビルは古びて汚いが、全体として見ると統一感があって整然としていて美しいという。ここと似たようなものだろうかと取りとめのないことを考える。
聞いていた通りここでは女性が圧倒的多数で、男の、しかも明らかに僧侶ではない自分は肩身が狭い気がする。尼僧とすれ違うたびに、彼女たちが場違いの自分を鋭い目でにらんでいるような気になってしまう。短期で修行に来ている人もいるだろうが、中には10年15年とここで過ごしている人もいるそうで、そういった人たちはいわば現世のすべてを投げ捨ててここに人生を捧げているようなものだろう。しかし彼女たちに悲壮感はなく、屈託なく明るい。この、原則的に女だけの集落を目にして、もののけ姫のたたら場でたたらを踏む女たちをなぜか思い浮かべてしまった。
ここは修行を望む僧侶が集まる場所だと思うが、それ以外の一般の人々も多いのか、彼らは一時滞在というよりは恒久的にここに暮らしている人たちのように見える。子供も多く、彼らはここで生まれ育ったのかもしれない。
亜青はさながら独立国のようで、経済・建設・流通などあらゆる活動を寺が独自に管理運営しているようだ。多くの尼僧が土木作業や荷物の運搬などを自らの手で行っている。各自にそれぞれ仕事が割り当てられているのだろうか。建築資材の加工、クレーン車の手配と作業など誰が指揮監督しているのだろうと思う。資金に関しては各地の信者からの寄付があるものの、それ以上に政府機関からの資金が多いと聞いた。意外に思えるが、政府としてはどこの誰かわからないところから大量の資金援助を受けるよりは、自分たちが資金を出してある程度管理下に置いたほうが安心できるという事情があるという話だがどこまで本当かわからない。
集落の端には舗装道路が敷設されていて、バイクや車が行き交っている。この集落が終わりなのではなくこの先にまだ人の暮らす土地が続いているようだ。
川に囲まれた丸い島のようなエリアが尼僧たちの暮らす場所だ。残飯やごみなどすべてこの川に放り込む。トイレは川にせり出すように作られた板の上で、ドアや壁、天井はなく布で大まかに目隠しされているだけだ。
夕方になると巡礼者だろうか、マニ車の方角から歩いて戻ってくる。寺院からも僧侶が大勢出てきた。おのおのの房に戻るのだろう。
1日の行を終えておのおの自分の房に戻り夕食の準備をしているのだろう、またも島全体が白煙に包まれる。
島の外側のエリアの斜面にも点々と修行者あるいは巡礼者の小さな小屋が建てられている。小屋というよりは箱と言ったほうが良いような小さなスペースで、彼らは灯りも火もない中ここで夜を過ごし、翌朝また新しい1日を始める。
宿に戻り最上階の食堂で夕食に麺10元(約150円)。宿の主人が同じ宿のタイ人宿泊客と引き合わせてくれる。インドチベットのラダック地方にも訪問歴がある彼は写真の腕がプロ級で、彼の写真を見るとカメラを投げ捨てたくなる。写真を仕事にしたら?と言ってみたが今の仕事が気に入っているのだそう。現在18日間の休暇中で次は丹巴へ向かうという。2月には白川郷と札幌へ行くとの事でなかなかの日本通でもある様子。彼なら良い写真を撮って帰るだろう。
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