アンナプルナトレッキング8日目:下山開始
今日も快晴。
周囲の山々が朝日に染まる。
せっかくのアンナプルナベースキャンプ、もう1泊できないかと昨夜から粘ってみたものの
ガイドは部屋も取れないだろうし、雪崩の危険もあると乗り気でなかった。
結局この日まで待っても部屋の空きが見つからず、やむなく下山することになる。
下山開始するも昨日同様雪がカチカチに凍って滑りやすい事この上ない。
何度もひっくり返り、ガイドにすべらない歩き方があるのか聞いてみたが、
いわく「すべらないと思って歩けばすべらない」。
高山病にかかるかどうかも「かからないと思えばかからない」との事。
壮大な景色の中、昨日苦労して登ってきた道を下っていく。
行きに通過した集落すべてで宿がないとことごとく断られる。
デウラリ(Deurali)、ヒマラヤホテル(そういう地名)、ドヴァン(Dovan)、バンブー(Bamboo)、シヌワ(Sinuwa)と断られ続け、
結局9時間歩いて宿の多いチョムロン(Chhomurong)まで戻る。
一気に2000m標高を下げたことになる。
前回豪雨に見舞われた時と同じ宿に泊まる。
今回は前回と打って変わって宿泊客が少なく、バストイレ付きの特等室をあてがわれる。
久々にシャワーを浴び、洗濯をし、寝袋ではなくベッドの上で眠ることができる。
ガイドのBishnuもようやく安全地帯まで降りてきた安心感からかいつになく饒舌である。
ヒンズー教に特有のサドゥーについて話してくれた。
サドゥーとは世俗との関わりを一切断ったいわば苦行者だが、写真撮影すると法外な料金を要求してきたりすることも多々あり、今一つよくわからない存在だった。
Bishnuいわく、
彼らは財産、家族、家などの一切を持たない。
そのかわりに、ヒンズー教の枠内で許される全てのこと(タバコや肉食など。牛肉や飲酒はNG)を楽しむ。
一般のヒンズー教徒から見て特に宗教的存在ではないそうだが、少なくともヒンズーを信仰するものではあるらしい。
特定の宗教への信仰心が薄い(特定の宗教に対する信仰心が薄いだけで、日本人のもつ宗教心そのものが薄いとは思わないが)
日本人の自分としては、これらの宗教と関わるたびに色々考えさせられる。
彼らにとっての信仰と、自分が漠然と抱いていた信仰に対するイメージはどうもありようが違うような気がしてしまう。
彼らにとっての信仰は自分が思っているより心のもっと深いレベル(地層で言えばより古い地層)に位置するように思える。
それが人間としての根底にまずあり、善悪や様々な感情などはその上の層に乗っかっているようなイメージだろうか。
悪事を働く人間が、同時にある宗教の敬虔な信者でもあるというのがどうも理解出来なかったのだが、
善悪を超えたもっと深いところに信仰はあって、善悪などはただ単にその上に乗っているだけで土台は揺るがないのかもしれない。
宗教に関しては全く無知なので見当違いの考えかもしれないが、
こういうふだんはまず考えないようなことを考えてしまうというのも旅ならではだろう。
本日の宿 パノラマポイントロッジ:Panorama Point Lodge
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