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インド悠久の旅 カンチプラムからティルヴァンナマライへ

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カンチプラム(Kanchipuram)からテイルヴァンナマライ(Tiruvannamalai)というヨガの聖地として有名(らしい)町へ向かう。名前も聞いたことが無かったこの町を人に勧められたのだが、誰に勧められたのかが思い出せない。ガイドブックも何も無しで旅を続けているので、同じ旅人や現地の人からの情報をもとに行き先を決めることも多い。

カンチプラムの宿の目の前のバスターミナルからティルヴァンナマライまで63ルピー(約108円)。宿の前で暇そうにしていた客引きがバスターミナルの位置を教えてくれる。出発してしばらくしてバスが停まり、ドライバーが道路脇の祠に立ち寄ってからティカ(インド人がよく眉間につける赤や黄などの祝福の印)を自分が握るハンドルの真ん中に塗っている。彼なりの安全祈願だろう。これまで訪れた多くの国でもそうだったが、ここインドでも宗教抜きの暮らしは考えられない。

本日の宿:Rainbow Guest House、料金は失念。1泊1500円ぐらいだったか、寝室が2つある非常に広い部屋だった。

町の中心にそびえる岩山がアルナーチャラ(Arunachala)山で須弥山(スメル)はこの山のことだという説がある。インド宗教ではこの山が世界の中心にそびえる山ということになるらしい。

この町にはたくさんのアシュラム(精神的修行をするための道場のようなもの)があり、長期滞在して修行に励んでいるらしい欧米人を多く見かける。彼らの多くが剃髪して白い修行衣を身に着けており、当然酒やタバコなどはご法度でひたすら禁欲的な生活を送ることになる。日本人よりも欧米人のほうがこのような生き方に魅かれるのか、アジア人の修行者は数えるほどしか見かけない。アジア人らしき人が修行衣を着ているのを見るとどうしてもオウム真理教を連想してしまう。彼らは忠実にここのスタイルを模倣したのだろう。

ひとつのアシュラムに立ち寄ってみたが、ここの創設者は腰巻ひとつだけを財産として生涯を過ごしたという。こういうところに来ると本当に場違いなところに来てしまったと思う。自分は祈りや瞑想から最も遠く離れている人間のひとりではないかとさえ思う。悟りなどとは全く無縁で日々の雑事やささいな心配に振り回されているばかりで、欲やエゴにとらわれて生きていると言わざるを得ない。自分のすべてを整えるということが必要な時期なのかもしれないがなかなかその気にはならない。

全ての地位や財産、所有物、欲望を捨ててひたすらひとつのことに打ち込む生き方は素晴らしいとは思うが、現実的には「生活の糧は」「将来どうするのか」等々俗世的なことを考えてしまう。岡本太郎が貫いた「食えるかどうかなんて問題じゃない。食えなきゃそれで構わない」という生き方は宗教的態度に近かったかもしれない。

白い巨大なゴープラム(南インド特有のヒンズー寺院の塔門)が印象的なArunachaleswara Templeへ行ってみる。

靴を脱いで寺に入るのだが、石畳があまりにも熱くて歩いていられない。地元の人は平気で、足の裏の厚さが違うのかと思う。日陰とござのあるところだけを選んで歩く。

帰り道を歩いていると道端で床屋をしている男性に呼び止められる。散髪して行けと言うのでちょうど髪が伸びてうっとうしく思っていたこともあり切ってもらう。100ルピー(約170円)と意外に高かった。この人もどことなく聖者に見えてしまう。

子供たちが頻繁に声をかけてくる。また「One dollar, please」かと思いきやそうでもなく、ただ単に写真好きの人懐っこい少年たちだった。

夕方、アシュラムへ。毎夕の儀式が行われており、上半身裸の少年僧たちが大声で経を唱和している。少年僧の甲高い声に低い声も混じっていて独特の効果を醸し出している。そのまわりをコルラ(聖地の周りを時計回りまたは反時計回りに歩く巡礼方法)する人々。広間には大勢の人々が座って祈っている。白人の割合がかなり高く、座禅している本格的な人も。一聴、一見して濃密な宗教的空間だと感じる。広間の右半分は女性のみ、左半分は男性のみと座る場所が決められているようだ。読経が終わると広間で何人もの人が五体投地を始め、やがて僧侶が延々と鐘を打ち鳴らす。僧侶が祭壇に火をともすなどの作業を読経しながら行い、終わると突然聴衆の中の何人かの女性が歌うような詠唱を始めた。

非常に印象的な儀式だったのだが、せっかく録った音声も映像もすべて消失してしまったのがかえすがえすも残念である。

堂の外に出るとムスリムや仏教徒などヒンズー教徒意外の人も大勢来ている。木の上に大きなクジャクが2羽、屋根の上にはたくさんのサル。クジャクが大きな声でミャオウと鳴く。

1時間ごとに別の儀式が行われるようで堂の中では延々と読経が続いている。参加する人、外でのんびり過ごす人、それぞれの過ごし方が受け入れられているようだ。ここでは欧米人観光客と地元住民、双方の赤ちゃんによる異文化交流の真っ最中。

夕食を食べに入ったレストランの壁にサイババの写真が飾られている。ここに限らずインドではサイババは神聖視されており、2011年にインド訪問した際もウサマ・ビン・ラディン殺害(訪問したのがその翌日だった)の件よりも、1週間以上前に亡くなったサイババに関する記事の方がはるかに扱いが大きかったのを覚えている。

ここティルヴァンナマライで教えを説き、この地に没した南インドを代表する聖者ラマナ・マハルシ(Ramana Maharshi)も人々の崇拝の対象である。この町では至るところに彼の写真が飾られている。

ここ南インドでは食事が皿ではなく大きなバナナの葉に盛られて出されることが多い。皿を洗う必要も無く、究極のエコと言えるかもしれない。

あまりに暑いので、アシュラムで禁欲的な生活を送っている人たちを尻目にビールを飲んでしまう。こちらは徹底的に世俗的に行くしかないと開き直る。エッグビリヤニ(南アジア版炊き込みご飯)との相性が素晴らしい。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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