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中国西域への旅 甘粛省 張掖(チャンイー)観光2日目

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中国甘粛省:張掖(チャンイー)で2日目の朝。昨日の丹霞地貌に続いて今日は張掖市内をぶらぶら歩いてみることにする。遅めの朝食を近所の食堂でとる。麺がなぜか細切れで、一緒に出てきたスープは非常に薄い味付け。見ていると店員もこのスープをお茶代わりに飲んでいる。かすかにセロリの味がする。

まずは万寿寺木塔へ向かう。市バスでも行けるのだが今日はぶらぶら歩いて向かうことにする。

市内中心部に木塔は立っている。木塔とは言うものの木製なのは柱や屋根の裏側のみで、本体部分はレンガを積んで造られている。釘を全く使わずに建てられているという。西暦582年創建(1925年改修)、八層九階33mの印象的な姿である。

塔の中には入れないが隣接する寺には自由に出入りできる。ネパールでよく耳にしたのと同じ宗教音楽が延々流されている。聞いていると拍子が不規則に変化する。あくまで詠唱(言葉)を優先した結果かもしれない。

木塔の前で青年が一礼をして立ち去る。母娘連れが塔の周りを時計回りに回っている。チベット仏教では聖地の周りを時計回りに廻るコルラという巡礼方法があり、ここ張掖はすでにチベット文化圏に入りつつあるという証かもしれない。今回ウイグル自治区から東進する旅をしたかったのは、イスラムとチベットの境い目、移り変わるさまを見てみたかったというのも理由の一つだ。

「張掖」の名前の由来は「もう西域に入った」ということを意味する「張国臂掖」にあるという。

続いて近くにある大仏寺を訪れる。

ここは入場料40元が必要だ。1098年に建立された巨大な寝大仏で有名だそうだ。撮影禁止の薄暗い堂内に巨大な大仏が横になっていて、両脇にも巨大な立像があり、大仏の背後にも10体の像が並んでいる。大仏の眉間にはヒンズー教のティカのような赤い印があり、胸にはまんじの逆、卐が描かれている。この印もやはりヒンズー教におけるシンボルの一つらしい。インドとのつながりを強く感じさせる一方で、この寺はモンゴル帝国の第5代皇帝:フビライ・ハンの生誕地としても知られているそうだ。周囲の壁に沿って多数の像が安置されており、中にはガリガリに瘦せこけた姿の像もある。口ひげをたくわえたイスラム風の風貌をした像もあり、当時いったいどれほどの広範囲との交流があったのかと思わされる。

薄暗く冷え冷えとした空間に客は他に誰もおらず、係員はと言えば化粧に夢中である。

寺本体の外観はどことなく奈良の大仏殿を思わせるものがある。寺の裏手にはチベット様式の仏塔もあり、この寺だけでイスラム、インド、モンゴル、チベット、中国からの影響が感じられる。実際に町なかを歩いていても、ここはイスラム・中華・チベットの文化が混在する場所だと強く感じる。ここもまさに色々な方向からの流れが集まる場所、境い目の場所なのだと思う。

町なかの交差点、多くの店が立ち並ぶ場所に鐘鼓楼がある。この町のシンボル的存在だそうで、ソウルにある崇礼門を思わせるところがある。

少々腹具合が悪く、昼はコンビニのような店で買ったまんじゅうのようなもの4個11元、夜は結局食べないことにした。深夜12時頃になって宿の主人が突然部屋を訪ねてきて「おまえ晩飯食ってないんじゃないか?」。不愛想な顔をしてなかなか親切な人である。夕食の時間になっても外出しないことから気付いたのだろうか。これも宿泊客が少ない(1人?)からこそではある。

明日は甘粛(ガンスー)省を出て青海(チンハイ)省:西寧(シンニン)へ向かう。バスターミナルでチケットを買おうとしたところ、明日のチケットはないとのこと。売り切れということなのか、明日は運休ということなのかはわからない。代わりに張掖西駅から中国版新幹線:洞車高鐵に乗れとのこと。西寧はチベット文化にとって重要な場所であり、ここ張掖で感じている各文化・宗教のバランスが一気にチベット寄りになるだろうかと想像する。

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今回の旅は、日本を代表するアウトドアブランド: (株)モンベル様にご支援いただいています

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