中国西域への旅 新疆ウイグル自治区 トルファン(吐魯番)から敦煌(ドンファン)へ
中国:新疆ウイグル自治区で体調を崩し、トルファン(吐魯番)で仕切り直し。今日はバスと列車を乗り継いで敦煌(ドンファン)へ向かう。敦煌からは甘粛(ガンスー)省ということになり、ここまで2週間以上にわたって旅してきた新疆ウイグル自治区を離れることになる。
トルファンの宿:錦綉金貨酒店は朝食付きだったのだが、ここの朝食はこれまで食べたどのホテルと比べても断トツに美味かった。ホテルに隣接する麻辣空間というレストランでの食事で、店名から激辛料理が想像されたので昨日あえて足を運ばなかった店だ。この朝食のためだけにもう1泊しようかという思いが頭をよぎるほどであった。このところ特にあまりいいものを食べていなかったこともあって、より一層美味く感じられたのかもしれない。
202番バスでトルファン北駅へ向かう。駅が近づくにつれ、巨大開発が途中で頓挫したかのような、広大な荒れ地に巨大ビルがポツンポツンと建つ光景が見えてきた。45分ほどで到着したトルファン北駅はその最たるもので、非常に近代的かつ巨大な駅で、しかも周囲には何もなくただ荒野が広がるばかり。無機質でだだっ広い駅前の広場が国慶節などの時期にはものすごい数の人であふれかえるのだろう。
出発時刻直前になってようやく改札が始まり、いざ列車に乗ってみるとどうやらこれは「西部高鉄」という名の中国版新幹線のようだ。道理で運賃が200元(約3000円)と高かったわけだ。2015年に開業したばかりの最新路線で、8両編成、車内アナウンスが中国語のほかに英語でも流される。走り出して30分経っても人家が1軒も見えない景色が続く。この車両は2等車ということで座席の間隔は若干狭いように感じられるが、乗り心地は日本の新幹線と何ら変わらない。
2時間程度でハミ(哈密)駅に到着。ここが新疆ウイグル自治区内の最後の駅である。想像以上の都会であり、同時にトルファン同様に新街(ニュータウン)と古城(オールドタウン)が混在する街であった。
中国版新幹線内を清掃員がひっきりなしに巡回して車内の美化を徹底的に行う。車内では愛国を謳う映像と中国の歴史についてのメッセージが繰り返し流される。日本人であることを悟られるとまずいかもしれないと感じてしまう。中国政府がチベット人およびウイグル人に対して行っている迫害・弾圧はどうなんだとひとり心の中で言う。これらのことはもちろん中国国内では報道されないだろうから、一般の漢民族はそもそもそのような事実があること自体知らないかもしれない。国外からの批判を受けて初めて当惑する、もしくは理由のない批判だと怒るというような反応を示すのだろう。もし自分が迫害されているこれらの民族出身で、身内が治安維持の名のもとに殺されたような場合、自分がテロリストにならないと言い切れるだろうかと考えてしまう。
隣の席にはイスラム帽にあごひげを伸ばした、ひと目でムスリムとわかる初老の男性。お互い何とか話そうとするが先方は中国語ができないようで筆談も難しい。ウイグル地方ではある程度の年齢以上の人で中国語の読み書きができない人がかなり多い。今の若い世代は学校で必修科目として中国語を習うはずなので問題なく読み書きもできるが、学校教育で中国語を習っていない世代は会話はできても読み書きが難しい。こちらが筆談で何か尋ねると、他の中国語のわかる人に聞きに行くというような事が少なからずあった。
柳園駅で隣席の男性とともに下車。ここからバスターミナルへ行って敦煌へ向かうということまでは調べておいたのだが、そのバスターミナルへ向かうために線路を越える道がどうしても見つけられない。駅員、通行人に聞きまくっても要領を得ない。最終的に駅そばに大勢いた武装警官に尋ねた結果、ここは柳園駅ではなく柳園南駅だと判明。北東3㎞ほどのところに柳園駅があり、今回降車した柳園南駅とは全く別の路線になる。英語が少し話せる警官に手伝ってもらい、乗り合いバス(36元=約540円)に乗ることができた。乗り合いバスとは別にタクシーの客引きが駅前に大勢たむろしており、列車が到着するたびにそこへ殺到する(タクシーは50元程度)。
ある程度乗客が集まったところでバス(大型ワゴン)は駅前を出発する。出発後すぐに、さんざん探していたバスターミナルへ立ち寄り、ここで初めてチケットを購入する。時刻表を見たところ、1時間に1本程度は運行しているようだ。
バスターミナル付近は店が立ち並んでにぎやかな感じだが、一歩そこから離れると人家はおろか動植物の姿すら見かけないような不毛の荒野が広がっている。丈の低い、薄茶色の草が点々と固まって生えているだけで、細い木を地面に突き立てただけの電柱とそこに張られた1本の電線だけがどこまでも続いている。この細い電線1本が電気を辺境の地にまで繋いでいる。
やがて地平線にまで続く無数の風力発電機が見えてきた。視界いっぱいに広がり、恐ろしいほどの数の巨大な風車が立ち並んでいる。
1時間半ほど無人の荒野を走ってようやく、家と木々のある土地へ入る。無数の風力発電機も姿を消し、ようやく人の暮らす場所に辿り着いたという気分になる。
ここ敦煌(ドンファン)は甘粛(ガンスー)省北西部に位置する町で、かつてシルクロードの要所として栄えた場所である。実際に町を歩いてみて最初に感じたのが、これまでのウイグルの町とは完全に異なる土地に来たということだ。イスラム色が著しく薄まり、代わりにいわゆる中国色が強くなった。町からは聖なる雰囲気がなくなり、いわば日本の都市に近くなったと言ってもいいかもしれない。
甘粛省に来て初めての食事。砂鍋娃娃菜という鍋で、具材は白菜・ねぎ・にんにく・唐辛子・山椒・豚肉などなど。
さすがに敦煌は有名観光地だけあって久々に日本人の姿を見かけた。このところ各地で連戦連敗のSIMカード購入をこの町でも試してみる。これだけ大きな町だからと淡い期待をかけていたが見事に全滅。中国人なら全員がもっているはずの身分証明IDカードがなければ売れないの一点張りである。
本日の宿は鑫龙賓館(Xinlong Hotel)1泊98元(約1500円)。バスターミナル近くで市内中心部にも近い。
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