インド:シッキム王国への旅 2.紅茶の里ダージリンへ
インド:シッキムへの旅2日目。日本からの直行便などもちろん無いので行くのに2日がかりである。明け方にデリーの空港近くのホテルに着き1時間半ぐらい寝て自然に目が覚めた。ホテル周辺は茶屋や駄菓子屋、ラッシー屋などが軒を連ねており、時間があればゆっくりしてみたい雰囲気だった。
空港で待ち時間が結構あるのでサンドイッチなどで朝食。空港のセキュリティチェックが思いのほか緩く拍子抜けした。前回のインド:ラダック旅行の際は荷物は全部外に出され、なかなか大変な思いをしたが今回はスムーズである。とは言え、ライフル携帯の警官が常に巡回している光景は日本にはないものものしさである。
空港内には「我々は中国の脅威と戦う」のような趣旨のポスターが掲げられていた。これから向かう場所はその中国との国境近くであり、色々チェックが厳しいかもしれない。
空港内でインド人男性に自分の写真を撮ってくれと声をかけられる。これからインド東端に近いメガラヤ州シローンというところへ帰省するそうで、生まれて初めての飛行機なので記念に写真を撮りたいのだと誇らしげだった。自分の故郷も素晴らしいところなのでぜひ来てくれと勧められる。ここも特別の許可が必要な地域である。
搭乗ゲートに行くと外国人は自分ひとりのようであった。えんじ色の上着に長いおさげ髪のチベット人のおばあさんがいるのを見て、一気にヒンズーの世界からチベットの世界に引きこまれたように感じる。
インドのLCC(Low Cost Carrier):ジェットエアウェイズでバグドグラ(Bagdogra)国際空港まで向かう。前回もこの航空会社を利用しているが、運行状況もサービスも格安航空会社とは思えない質の高さである。
飛行機はうまい具合に左の窓側の席で、離陸後しばらくすると遠くにヒマラヤが見えてくる。足元を見ると延々と続く緑と茶色の大地の中ほどをうねるように大きな川が流れている。はるかかなたに見えるヒマラヤからの流れだろうかと考える。窓の外、はるか遠くにどこまでも続く山塊を見ているとどこか現実でないような不思議な気持ちになる。
バグドグラ空港に到着。軍用ヘリが目立つ。気温24度と想像以上に暑い。乗合タクシーで最寄りの町:シリグリ(Siliguri)へ向かう。同乗者はデリー在住の女性画家と若い男でいずれも帰省してきたそう。入域許可証が取得できるオフィスまで行ってくれるようお願いするが、ドライバーも他の乗客もどこで取れるのかが定かでないとのことで電話で何度か確認してくれる。非常に助かった。
シッキム観光局(Sikkim Tourist Office)そばで降ろしてもらい許可証発行手続きを行う。パスポートコピーが必要とのことで近所のコピー屋で2ルピー。1ヶ月の滞在許可をもらう。自分も含めオフィスに居合わせた男たちも、みな明らかにモンゴリアンの顔立ちである。思わず顔を見合わせてお互い声を上げて笑ってしまった。
すでに14時をかなり過ぎていたが、女性係官にこれからダージリンに行きたいと言うと充分間に合うとのこと。歩いて5分ぐらいのところにタクシーやジープなどが集積している場所(Junctionと言っていた)があり、若いドライバーとダージリンまで130ルピーで交渉成立。もうひとり同乗者があり、あとひとり乗せたかったらしいが集まらず乗客2名で出発する。
若いせいもあって、猛烈にスピードを上げる荒い運転と大音量の音楽に困惑する。途中で給油したあと、乗客だったはずの男が運転を代わる。こちらの方が安全運転でほっとする。思った以上に道路は整備されている。窓の外の景色からすでに相当高いところまで登ってきているのがわかる。ダージリンは標高2000m以上の高地である。車窓から見える、丘の頂にある町が夕日を浴びて輝いている。
日がすっかり落ちて真っ暗ななか、ダージリンのジープスタンドに到着。斜面に作られた町である。中心部にはチョーラスター広場という場所があり、大晦日のイベントがあるらしく次々と人が集まってくる。ステージ上でイベントが行われ会場は盛り上がっている。ファッションショーや子供の芸などが行われており、男女のモデルが並んで登場して腕を組んだだけで大歓声があがる。
デケリンというホテル兼食堂でチベット料理を注文する。モモ(餃子のようなもの)、スープ、チョウメン(焼きそばのようなもの)を頼んだがなぜか胸焼けがして持て余した。せっかくのダージリン最初の食事だからと頼んでみたが、紅茶とコーヒーはメニューにないという。
チョーラスター広場から町のシンボル的存在の時計塔へ下る階段の途中に宿があり、そこで声をかけられ結局泊まることに決定。声をかけられなかったら暗がりで気付かず素通りしていただろう。
本日の宿 ホテルプレステージ:Hotel Prestige(1泊500ルピー)
WiFiも何とか使え、ホットシャワーはいつでもOK。やけに日本語の貼り紙があると思ったら、以前オーナーだった人の長男の奥さんが日本人だったとのこと。
夜、従業員家族がなかなかに騒がしい。部屋には暖房設備は一切なく、標高の高さもあってかなりの冷え込みである。わざわざ持ってきた寝袋が早速役に立った。
チョーラスター広場のカウントダウンイベントは意外にも年をまたがず23時で終了。みんな寄り道もせず早々に帰路についたようだった。
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