中央アジア:ウズベキスタンからカザフスタンへの国境越え
ウズベキスタン:ウルゲンチからタシケントへ夜行寝台列車で移動している。決して寝心地が良いとは言えない列車で朝を迎える。赤ちゃんのおむつ替えがあったりしてなかなか大変な臭いが車両に充満する。
1時間遅れでタシケント駅に到着。ここからカザフスタンの国境までは20~30㎞といったところ。バスを乗り継いで行くつもりだったが乗り合いタクシーの誘いについつい乗ってしまう。道路標識にはカザフスタンのアルマティの地名もあり、道はまっすぐ続いているのに国境というものがあるせいでI一息に行けないことにもどかしさを感じてしまう。
国境前で降ろされると早速物乞いが寄ってくる。ウズベキスタンソムが少しだけ残っていたので一人の物乞いにそれを渡すと、すぐに他の物乞いが殺到してきた。「なぜあいつに渡して自分には渡さないのか」というようなことを言っているようだ。うかつだった。
国境までは歩いて移動する。特に物々しい何かがあるわけではなくただ道をまっすぐ歩くだけである。国境ぎりぎりまで民家らしきものも点々と建っている。
出国書類を記入するがすべてロシア語なので周囲に教えてもらいながら何とか書き終える。同じく出国しようとしている若い母親に「書類を書く間、私の赤ちゃんをだっこしておいて」と頼まれる。
国境での審査が予想外に手こずる。入国の際のパスポートデータなどが登録されているのだと思うのだが、それがうまく登録されていなかったのか確認にやけに時間がかかった。国境を越えて時計の時間を1時間進める。
国境を越えるとタクシーや両替屋の客引きのしつこさに驚く。ウズベキスタンではまずなかったことだ。国境という線を一本隔てただけでこうも違うものか。国境という人為的な線のおかげで、線のこちら側と向こう側の交流がなくなり、その結果両者の違いが増幅されたという面はあるかもしれない。ソ連時代はもっと行き来が自由だっただろうし、今ほどの違いはなかったかもしれない。
乗り合いタクシーでカザフスタン国境最寄りのシムケントへ向かう。シムケントからはまた夜行列車でアルマティまで向かう。ただ茶色の大平原だけが広がる中を車は進む。
乗り合いタクシーのドライバーはこちらが日本人だと聞いて「ヤマモトカーンスキー!」と何度も叫んでいたが何のことかよくわからない。他に夫婦2人も同道する。「お前ムスリムか?」「イスラムは好きか?」などと尋ねられ、ムスリム独特の顔を洗うような仕草をやってみせて「イスラムはハラショー(ロシア語で「素晴らしい」)だ」と言うと納得してくれた。
窓の外を見てみると人にそれほどの違いは見られない。小学生の女の子がみな白いリボンをしているのもウズベキスタンと同じだ。ウズベキスタンとの唯一の違いと言えば、こちらの人はみなちゃんとシートベルトをしているという点ぐらいか。
2時間ほどでシムケント駅に到着。当初の約束は1000テンゲ(約300円)だったがここに来て2000テンゲ払え、他の2人も2000払っていると言い出すが、約束は約束だと押し切る。駅で夜行列車の時間を聞いてみると17時台に2本、21時台にも2本と数はあるようだ。一番早い17:25発10:00着の列車(1等車)3800テンゲ(約1150円)を購入した。駅にATMがあるもキャッシングができず、手持ちの金が心細い状態で列車に乗り込む。何号車の何番席かもわからないまま、ごつい感じの車掌に「いいから乗れ」と列車に押し込まれる。当然、車内でもまごつくが他の乗客が手助けしてくれる。
ウズベキスタンの寝台列車と比べて明らかに上等である。2段ベッドではなく2人1室のコンパートメントになっており、ベッド脇にはコンセントもある。自分は若い女の子と同室になったのだが、こういうことはあまり気にされないようだ。この娘はとにかくスマホをいじりっ放しだった。電波がない、WiFiルーターはないかと大騒ぎしていた。
隣のコンパートメントで出発直後からドンブラというカザフギターの伴奏とともに歌が始まり、何事かと覗きに行ったところ「日本人か、まあ入れ」とそのまま部屋に引き入れられた。3人の男が入れ替わり立ち代わり歌を披露している。こんな大音量で注意されないのかと思ったら車掌自身が観客としてコンパートメントにどっかと座り込んでいる。あとでわかったことだが彼らはプロのミュージシャンで、これからタシケントへ演奏の仕事で向かう途中ということだった。
こちらは別の演奏(音声のみ)
カザフギター:ドンブラは2本しか弦がないのだが、これで器用に伴奏を付ける。フラメンコなどで使うラスゲアードも多用する。歌自体はその場で即興で造っているようで「日本人」「ツーリスト」「アルマティ」などの言葉を入れて歌をその場で作り上げていく。その日の出来事や心に浮かんだことなどをそのまま歌にするような感じで、歌詞がかなり重要なのだろうと思わされた。
3人目の男は「自分はそんなにうまくないが」と言いながら、哀歌を歌う。ギャラリーのうち初老男性2人は眉をひそめ、感に堪えないような表情で歌い手を見つめる。車掌も仕事そっちのけで聞き入っている。次の駅に到着するまであまり仕事はないらしい。
演奏が終わって「誰のが一番良かったか?」と聞かれる。中央アジアの人はこのように誰が一番かというようなことをよく聞いてくる印象がある。
この列車にはビュッフェがあるということでそちらへ行ってみる。高いからかほとんど客がいない。メニューにはあるもののできる料理があまりなく、説明もほとんどわからない。プロフが食べたかったのだがそれもできないと言う。結局パスタとサラダとコーラという変な注文になる。それでも前日からあまり食べてないのでありがたくいただくことにする。結局何がどうなったのかわからないが、パスタではなく最初にリクエストしてできないと言われたプロフが出てきて2090テンゲ(約630円)。時間がなくてウズベクソムからカザフスタンテンゲの両替しかしていないので手持ちが2500テンゲしかなくぎりぎりセーフだった。
ちなみにウズベキスタンソムからカザフスタンテンゲへの交換レートは、国境(の闇両替屋)でも駅の公式両替でも1テンゲ=20ソム、1ドル=333テンゲだった。
カザフとウズベクで携帯事情を比較すると、ウズベクは小さい携帯ばかりでスマホ以前の段階だが、カザフに入ると途端にサイズが大きくなり、ビュッフェのおばちゃんもiPhoneのようなスマホをいじっていた。
カザフの方が確かに日本人的な顔立ちが多い。モンゴルの血を引く顔立ちが多いように思える。こちらではまず「中国人か?」と聞かれる。それだけ中国人が多いのだろう。ここでも観光客とは思われず、「仕事で来たのか?」と聞かれることが多い。次いで「子供は?結婚は?」と定番の質問が来る。ここまでの印象ではカザフの方がウズベクより開放的な気質かもしれない。
夜、消灯時刻近くになると軍人と軍用犬が客車内を巡回する。このところカザフスタンでもテロが発生しており、厳戒するに越したことはない。日付が変わっても例のミュージシャン連中は歌いっぱなし。一体何時間続ける気だろうか。酒も入って完全に宴会である。次から次へと歌われる曲を全員で合唱している。これがいにしえより続く騎馬民族の伝統なのだろうかと思いながら、2日連続で寝台列車での眠りにつく。
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