水牛の上で過ごす一夜:Dhading
アンナプルナトレッキングでガイドを務めてくれたBishnuからの誘いで、彼の実家に招待してもらえることになる。
彼の生まれ故郷はカトマンズとポカラのほぼ中間にある山岳地帯:ダーディン(Dhading)という所で、
まず観光客が足を向けることはないだろう。
Bishnu自身はトレッキング終了日にカトマンズへ戻っており、当日現地で合流する予定。
トレッキング前後あわせて6泊もしたHotel Golden Holidayともお別れである。
色々良くしてもらったし、良いホテルだった。必要十分でOK、豪華な滞在を求めない人にはオススメします。
車で3時間程度かけて向かうのだが同乗者がいる。
大阪:梅田で7年インド料理店に勤務しているネパール人男性との事で、日本語もかなり流暢。
9月中旬から2ヶ月間、ダサインというネパール最大のお祭りのために帰省中との事。
日本人の奥さんがおり、今回は自分だけで帰国中だそう。
3年に1回程度帰国するが今後もネパールで暮らすつもりはないとのこと。
理由を聞くと、ネパール料理がいかに油を多く使っているかという事に、
日本へ行って初めて気付いた、もうネパール料理には戻れない、のだそうだ。
彼は今回が2回目のDhading訪問で、まるでガイドのようにこちらを助けてくれて本当にありがたかった。
3時間程度で町の中心地とおぼしきエリアに到着。
BishnuはすでにDhadingに着いているとの事で、茶店で待ち合わせることにする。
茶店にはネパールのスイーツが並んでいるのだが、この男性は一切手をつけようとしない。
甘いものも日本のものがいいそうだ。もはや日本人の味覚である。
ようやくBishnuと合流。
ここがバス(というよりワゴン)の発着場となっており、近所の店に大きい荷物を預ける。
ひととおり町を散歩して見て回ったのち、彼の実家へ向かう。
これが1時間半ほどかかる山登りとなり、ここで生まれ育てばトレッキングガイドなど朝飯前だと納得させられる。
ようやく実家に到着。
熱帯のような木々と畑、田んぼ、そして山に囲まれたまさに山の中の暮らしである。
両親、姉、妹、子供4人、さらに父の妹、母の母、いとこなどどこまでが一家なのか、というような大世帯で出迎えてくれた。
床も壁も土でできたキッチン兼ダイニングで、ひたすら食べ物を勧められる。
早速勧められるままに食べ、呑み、と付き合っていくが、ネパール人と日本人の胃袋では造りが違うようでとてもついていけない。
手作りのビールやチャン(醸造酒)もいただいたが何しろ強い酒ばかりである。
これだけ山奥だと、親戚友人以外の来客はさすがに珍しいようで、今日は特別な日だとばかりにみんなも飲んでいる。
親父さんはもうすっかりできあがっていて上機嫌である。
ただただ言葉が通じないのが残念ではある。
親父さんのカタコトの英語と、自分のカタコトのネパール語で何とかコミュニケーションを試みる。
こうなるとわかっていればネパール語を少しは勉強してくるんだったと後悔する。
料理は伝統的なかまど(枯れ木を燃料にする)とバイオガスを使ったコンロを併用している。
何しろ家族が多いので両方フル活用しないととても間に合わないだろう。
加えて明日のダサイン祭の準備のため今晩は明け方近くまで揚げパン造りなどしなければならないそう。
みな朝まで付き合う様子だったが自分は23時で寝床に引き上げさせてもらった。
部屋の中はこんな感じ。内部はすべて赤土で作られている。
1階が家畜小屋になっており、自分の寝床はその上
寝床から外を見る
眠りにつくと、これまでに聞いたこともない巨大ないびきが響き渡る。
この家ではヤギ、鶏、豚などに加えて水牛を飼っており、いま自分の真下で水牛が大いびきをかいているのだった。
水牛の真上で一晩を過ごす経験はこれからもそうそうないだろう。
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