エベレスト街道単独トレッキング5日目:モンラ
クムジュン村で夜明けを迎える。東のアマダムラム(Ama Dablam)の方角がうっすらと明るくなってくる。
部屋の前には大きな牛が寝ていて、まだすやすや寝息を立ててお休み。干されている洗濯物はバリバリに凍っている。頭からかごをさげた耳の聞こえないらしい女性が、手話と言葉でしきりに何か話しかけてくれる。ここでもどうやらネパール人に間違えられたらしい。
朝、食堂にはチベット仏教のマントラ(真言)のCDが流れ、まさにチベットの朝といった感じ。
出発後、村のパン屋でドーナツを買う。店主の女性が何やらもじもじとお釣りを返したくなさそうなので、チップとして差し上げる。
エベレスト方面には2大目的地があり、ひとつはゴーキョピーク(Gokyo Li)、もうひとつはカラパタール(Kala Patar)でいずれも標高5500mを超える好展望地である。通常のトレッキングプランではこのどちらかを選択することになるが、今回は両方とも行こうという欲ばりな試みである。まずゴーキョへ行こうと考えており、この先で道が分かれることになる。分岐の看板が朽ち果てていてあやうく見落としてしまうところだった。
クムジュン村の守護神:クンビラ(Khumbi-La)峰の絶壁を左に見ながら山腹を下っていく。やがて石段の登りが始まり、タムセルク(Thamserku)からアマダブラム(Ama Dablam)、さらにその先までの眺望が広がる。
猛烈に深い谷を見下ろしながら、切り立った断崖につけられた道をひたすら登る。
1時間半ほどでモンラ(Mong La:3973m)という峠に着く。眼下にはカラパタール方面へ向かう大勢のトレッカーが見える。
モンラのロッジでひと休み。注文したドーナツが灯油臭い。おそらく灯油ストーブの上で温めたのだろう。ここはまた絶景の地である。
昨日が3790m、ここが3973m、次の目的地が1時間先で3680m。高所順応のためには昨日より少しでも高い標高で宿泊したいのと、何より眺望の素晴らしさで急遽ここに宿泊することにした(店にいた他の客はこんな中途半端な所で、とけげんな顔をしていたが)。
本日の宿 ブッダロッジレストラン:Buddha Lodge Restaurant(1泊100ルピー)
ランチタイムはこの店は満員になったが、それ以降客足は全くなくなり、客は自分ひとりとなる。ここは猫の額ほどの狭い峠にロッジが3、4軒ほどの小さな集落である。もう客も来ないと見込んでか、他のロッジのスタッフが来て一緒にトランプをしている。
午後になって深い霧に包まれる。深い谷を挟んで向かいには、お盆の上に乗せた空中都市のようなポルツェ(Phortse)が見える。
これまでと違いここは非常に乾燥しているのを感じる。風邪をひかないよう注意する。
夜になり霧が晴れると満天の星空に巨大な山々のコントラスト。この宿の主人は日本語を少し話し、富山:立山に道路建設の研修で弟ともども行っていたことがあるそうだ。エベレストへも何度も登頂しているが、本人は「シェルパだから」と至極当たり前の口ぶりだった。
このロッジのトイレは床板に穴が開いているだけのもので、終わったら目の前に積んである大量の枯葉を下に落とすようになっている。居室も極めて簡素なもので屋根裏部屋といった風情である。食堂に飾られた写真を見ると子供がいるようだが、4000mの峠に住む子供はどこの学校に行くのだろうか。
ひとりきりの宿泊客に気をつかって、主人が隣に座って一緒に夕食を食べてくれる。主人の夕食があまりにも質素で、ちゃんとした食事をとる自分が何となくいたたまれない気分になる。数年前に日本人写真家のローツェ撮影をサポートしたとの事でその写真集を見せてもらう。15〜20kgの荷物を背負って登ること、春しか登れないこと、今春のエベレスト雪崩事故の際は幸いマカルーにいたので巻き込まれずに済んだことなどを話してくれた。
深夜1時、例の原始トイレに向かう。真っ暗な峠で山々だけが月明かりに白く光っている。昨日よりももっと間近にタムセルクの巨大な姿を見ていることに今さらながら気付く。もう今はさえぎるものもなく、深い谷を挟んで真向かいに対峙している。改めてその途方もない大きさに畏れすら感じてしまう。見えるものは白く輝く山肌だけ、聞こえるのは谷底から川の轟音が遠くに聞こえるだけ、まさに山と1対1を実感する。
遠くのほうで何か得体のしれない生き物の鳴き声が聞こえ、怖くなって部屋へ戻る。このへんはイエティ(雪男)伝説のあるところでもあるのだ。できればお会いしたくない。
午前5時。月も落ち、山は黒い影を見せるのみで、空にはより一層多くの星。アマダブラムの中腹で時折光がまたたく。おそらく登山者のヘッドランプだ。今ここにいる人間は自分とあの登山者だけという、距離を超越した不思議な共感を感じる。(1週間後、縁の不思議さを改めて実感させられることになる)
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