ネパールでのホームステイ最終日
ガネッシュヒマールの麓、山間の村Dhadingでの民泊最終日の朝。今日も腹具合が悪い。トイレに何度も起き、水場で音を立ててしまい昨日できたばかりのネパール人の妹を起こしてしまう。(ネパール人の妹ができた経緯についてはこちらを参照)
朝早くみんな次々に起きてくるが特におはようの挨拶が交わされるという事はない。身内として認めてもらったという事だろうか。
ネパールで興味深く思ったのが「ありがとう」などの挨拶の言葉がないという事だ。いわく「仲間内、身内ならして当たり前のこと。お礼を言う方が変」という感覚だそうで、一応ネパール語ではありがとう=ダンニャバードとなっているが、実際にはこれはインドの言葉でネパールではまず使われることはないとか。
それでも感謝の意を言葉で表したい時はどう言うのか、以前ネパール人に聞いたところ単に英語でThank youと言うそうだ。正反対の文化を持つ日本人としては興味深いものがある。
朝食は果物だけでいいと言うと、チャイとバナナがひとふさ出された。女性陣はみな心配して気遣ってくれ申し訳ない気持ちになる。小さな女の子が何かの果物を手渡してくれた。彼女をまねてそのままかじりついてみたが、渋くてとても食べられない。厚意のみありがたくいただき、じっと見られているので何とか食べているふりをする。
昼前には出発。揚げパン、ココナッツの実、果物などおみやげをもらう。みんなまた来いと言ってくれているそうで感謝の言葉もない。
1時間半かけて下山する。バスという名の大型ワゴンにぎゅうぎゅう詰めになって乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めは車内だけではなく、車外も大渋滞。みんな祭り帰りの人たちだろう。結局2時間の予定が4時間たってようやくカトマンズ市内に踏み込めただけで、目的地に行くのはあきらめ途中で降りてあとはタクシーを使うことにする。
カトマンズの観光客が集まるエリア:タメルにある、ホテルノルブリンカ:Hotel Norbu Linka が今日の宿。(※執筆時点でホテルHPはハッキングの可能性があるとGoogle上では表示されており要注意)トレッキングから帰ってきてカトマンズでの1泊までがトレッキング会社の手配なので、最後に随分豪華なホテルを用意してくれた様子。
電波状態が悪く、移動中仕事の連絡ができなかったBishnuはホテル到着後早々に立ち去った。少しあっけないお別れではある。
エベレスト街道トレッキングへ向けて、航空券手配を進めており依頼している旅行代理店へ電話してオフィスへ向かう。
日本人女性:米田さんが切り盛りしておられ、航空会社との交渉もネパール語で強気にこなし頼りになる存在である。トレッキングシーズンで手配は難しいはずだが、他代理店で無理と言われた手配がここでは可能になり非常に助かった。6時発の便でも5時にホテルを出れば充分間に合うこと、現地のロッジに復路航空券を預かってもらいリコンファーム(チケットをとってあっても搭乗前にもう一度こちらから確認が必要)をお願いすることなどアドバイスを頂いた。
トレッキングの出発地ルクラ(Lukla)へは朝早い時間の便で向かうのが鉄則(欠航率が尋常ではない為)で事故も多い。2年前に墜落した会社(Sita Air)と4年前に墜落した会社(Tara Air)のどちらがいいか尋ねられ、順番を考えてSita Air始発便を購入する。出発日は10月29日に決定。
【後記】
2015年4月ネパールを大地震が襲い、多数の死傷者を出す大災害となりました。震源は今回滞在したDhadhingと目と鼻の先という場所で、この村もほぼ壊滅したとのことです。幸いなことに今回お世話になった家族はひとり残らず無事だったそうです。ただ、彼らの家は全壊してしまいました。ささやかではあるもののいくばくかの支援を申し出ましたが、Bishnuいわく「父は”自分がこの村を復興させる”と言ってやる気に満ち溢れている。家族もみな元気で心配ない」との事で、彼らが希望を失っていないことだけが救いです。今後も彼等を見守りつつ、支援できることがあれば続けていきたいと考えています。
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